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[コメント] 近松物語(1954/日)

山腹から逃げる長谷川追う香川の驚異的なショットだけで満腹なのだが、他のミゾグチの傑作にはこんな長回しが一作に十もあったのを思えば、淡泊な印象は免れないだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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依田義賢は本作を余所行きでミゾグチの代表作とは云い難いと『ある映画監督の生涯』で語っていたが、その通りだろう(一方、氏は『雨月物語』もそこに並べているが、私はそれは違うと思う)。全体に短尺でカット尻は大多数が淡泊、『浪華悲歌』や『残菊物語』など、同じ家と個人を扱った戦前の傑作のダイジェスト版のようだ。

主人公である長谷川一夫香川京子に、映画は殆ど人格を認めていない。脇役である南田洋子浪花千栄子菅井一郎、悪役である進藤英太郎小沢栄太郎田中春夫(彼のずる賢い造形は素晴らしい)らが見せる複雑な葛藤がない。本作で感情を揺さぶりにくるのはもっぱら脇役であり、主人公ふたりは運命に巻き込まれた構造的な不幸を嘆くばかりだ。

しかし思えば近松の原作もそのようなものであり、西洋の恋愛観に「毒され」ていない人物を描いたのだとすれば、映画は成功なのかもしれず、本作がミゾグチの代表作と評した評論家は構造主義が好きだったのだろうと思う。家に押し潰される個人の描写として、ラストの引き回しにされるふたりの清々しさは、単なる共同体のガス抜きに見える。彼等は『祇園の姉妹』の山田五十鈴のように現状を告発することはあり得ない。この対照は興味深いと思われる。

(評価:★4)

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