[コメント] トゥモロー・ワールド(2006/米)
こういう金をかけないSFは皮肉な事に既視感を伴って「リアル」と感じさせられる。すべては現代の延長であって、極端に言えば未来のSF的な設定すら必要なかったのではなかろうか。
現在、我が日本と同様の価値観を共有する文明国・先進国であるイギリスという国家で繰り広げられる暴力。まったくもって「軽い人命」。私が最もSF的であると感じたのはこの一点であった。
但し、それらは現代の途上国では日常の光景であり、先のイギリスやフランスといった国々ですらIRAテロや移民暴動といった形で日常の姿になってきていた。つまりこの点すらSF的ではなくなっているのだ。
つまり本作の描く未来とは現代の姿。安穏とした文明国の我々が一番見たくない、目を逸らしたい姿。それが本作の背景。
だからこそ、細かい設定やら状況やら原因やらをすべて端折って描いても観客はスムーズに違和感なくこの世界観に入っていけるのだろう。
多くのコメンテーターが認める本作の秀逸な戦闘シーン。あのあまりに激しい戦闘シーンにまったくもって対極的な聖母マリアが登場する静寂。移民たちは神の子に触れ、兵士たちは十字を切る。嗚呼、なんて素敵なシーンだっただろう。『バベル』が訳分かんない手法で描こうとしていたらしいモノが明確に描かれていたじゃないか。彼女は聖母マリアだ。そして彼女が抱く神の子はまさしくイブ。
だが、一時の静寂は一時でしかなく兵士と移民たちは戦闘を再開する。そこにアダムはいない。ソドムの市は戦闘爆撃機の業火によって焼き払われ、イブは「明日」という船に乗り新天地を目指す。きっとこの後ロンドンは津波にでも呑み込まれてしまうことでしょう。
嗚呼何だかキリスト教の聖書を読まされているような厳粛(?)な気分になってきました。傑作です。拡大解釈した広い意味でのSF映画の中で本作は今後しかるべき席を占めるべき資格を持ちえた作品であると思います。
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