[コメント] 暗いところで待ち合わせ(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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例によって原作未読なので、絵に描いたようなベッピンさんの井川遥にすっかり騙されてびっくりしてしまった。プラットホームの下からブバっと現れる姿なんて、かの貞子を彷彿とさせるような衝撃的なシーンだもの。ただ、そこから謎解きに至るまでの展開はやや急ぎ足で、何か食い足りない印象を残したのも事実で。
ただ、思い返してみれば、物語は前半からミステリとしての伏線をキッチリ仕込んでいて、例えば大石がミチルに気付かれる危険を顧みずにあの場所に座り続けるのは実に不自然な行為なんです。別の部屋にいたほうが絶対的に安全なわけで。後にこの理由は明らかになるんだけれど、それが明らかになる前から「あの部屋の中のふたり」という景色が成立しすぎているというか、映画の画面として充分な説得力を獲得してしまっているために、本来こちらが抱き続けるはずの違和感が氷解してしまう。そして、その画面の中で少しづつ心を通わせていくふたりに否応なく感動してしまうものだから、最初に抱いた違和感なんてどうでもよくなってしまった。あまりに劇的なシチュエーションが、ミステリとしての物語を追い越すという、なんだかとても珍しい映画だったと思うわけです。
「居場所じゃなくて、自分を許してくれる人間が必要だった」
大石はそう言います。観客は、いや、少なくとも私は、彼が殺したか殺さないか以前に、あの深い孤独の闇に沈んだミチルの心の支えに彼がなり得るという可能性を提示された時点で、彼を許してしまっていた。君が悲しき殺人者であっても構わないから、どうかミチルの孤独を癒してあげてほしいと、君しかいないのだと思わされてしまった。
『暗いところで待ち合わせ』は、正調なミステリとしてとても機知に富んだ完成度の高いプロットだと思います。だけどそれ以上に、真心に訴える力を持った人間の物語でした。終盤の消化不良を「バランス感覚が悪い」と切って捨てるのは容易いけれど、それよりも乙一というストーリーテラーの将来性を強く感じさせる作品だったと思います。
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