[コメント] 素晴らしき哉、人生!(1946/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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実際、大したことは言えてない。
主人公が苦しみ、頑張り、生きていく過程の描写は、俺は素晴らしいと思う。特に気に入ったのが、彼が元々父親の跡を継ぐつもりがなかったという点。生来の博愛主義者で、父親と同じ道をまっしぐら、ではなく、こんな街は嫌だ、こんな生活は嫌だ、俺は外へ出て成功するんだと、強い意志を持っていたにも関わらず、最終的には自分の意志で残った。進んで残ったわけではなく、また無理矢理残されたわけでもなく、残りたくないけど残る事を決めた、そこがポイント高い。
だがしかし問題の「再生」の場面がいただけない。心が純粋すぎて、強くあろうとし過ぎて逆に苦しんで、とかそういう流れがなくて、一生懸命頑張ったけど突発事故でプッツンしちゃったでは、それまでの繊細な前フリがもったいない! あそこまで強く、自分に厳しい人が、いくら絶望的な事態だからって、あんなに急に八つ当たりはしないと思うし、自殺する人というのは苦しくても周りに当たれずに自分だけで背負い込んでしまうから自殺するのではないのか? この主人公の場合、表では家族に精一杯優しく振舞ってやり、いつもと変わらぬお父さんだと思ってたら翌日首吊ってた、みたいな流れの方がしっくり来ると思う。
自分がいない世界の場面も、あれは自分のやってきた事の意義を確認できたから生を渇望したのではなく、単に誰も自分を知らなくて寂しくなって戻りたくなっただけではないか。さんざん緻密に前振りしておいて、肝心な所で何も表現できていない。致命傷である。結局の所、大した事は言えていないのですよ、この映画は。
そもそも自分がいなかった場合のマイナスを確認しなくちゃ生きてる意味を見出せないなんてのもどうかなと思うし。だからサイマフさんとかが感じてるようなことと同じような気持ちを俺も持っていて。俺もそういうタイプの人間。
・・・・これが俺の中の半分の人。
そしてこの映画にある程度見切りをつけて、「はいはい、とっととハッピーエンドでもやってろ」とかってテキトーに流して続きを見ていて、そのまま終わると思われたその時、「見ろよ、みんながお前の危機を聞いて寄付してくれたんだ!」のセリフと共に沢山のドル紙幣が画面に映ったその時、俺の身に異変が起きた。
「み、みんなぁぁぁ・・・・・・」(滝のような涙)。ついさっき「実は何も表現できてない中身のない作品」との結論を出し終えたばかりのはずの俺が、それこそ馬鹿でも予想出来るいかにもなオチがついただけなのに、どういうわけかとめどなく涙が流れてくる。 俺の胸の中に強烈に沸き起こる主人公への「よかったな。よかったな。」の気持ち。
・・・・これが俺の中のもう半分の人。
前者の分析は今でも間違っていないと思ってる。前者の俺もやはり間違いなく俺だ。そして後者の俺も、この涙の跡で濁って見えづらくなったメガネを見てもらえば判ると思うけど、やはり間違いなく俺なんだ。自分というものが良く判った気がする、いやよく判らなくなった気がする、かな。
特に理由はないが、今回は後者の方の気持ちを、俺のこの映画への評価としてみようと思う。なんとなく今回は、そんな気がするから。だから5点。
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