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[コメント] マリー・アントワネット(2006/米)

孤高の芸術家が作る映画より、贅沢な素材を存分に生かしたCMの方が庶民には魅力的。
つゆしらず

ああ、思い出した。『バージン・スーサイズ』も『ロスト・イン・トランスレーション』も、かったるい進行やメリハリのないエピソード、変に間延びした編集にイライラしたものだ。そう、私はとりとめのない私小説は1行でも読んでいられないタイプだ。

ソフィア・コッポラ、あまりにも独りよがり…いやいや、マイペース過ぎやしないかと心配になるが、「観てもらおう」という媚もなく、自分自身や、自分の頭にあるイメージを表現することに徹している。そう言う意味では「自分」を貫いている。

「自分がどう思われようと私は私を貫く」とは芸術家が言いそうな言である。確かに芸術はそれでいい。でも、映画はそれだけじゃない。映画はもちろん芸術でもあるが、エンターテインメントでもあることを忘れてはいけない。芸術が「自己の表現」であるなら、エンターテインメントは「観客(他者)への表現」がといったところだろうか。もしかしたら、映画自体がエンターテインメントという側面から芸術的表現へと移行していっているのかもしれない。でも、エンターテインメントを期待して、わざわざ映画館に足を運ぶ人が多いことも忘れないで欲しいと思う。

自然に彼女の感性を享受できる人もいる。私が彼女の感性に共鳴できなかっただけなのだ。 私の場合は、必死になって何かを伝えようとしていたり、必死になって誰かを喜ばせたり楽しませようとする人の映画が好きなだけだ。

(そして、CMの編集が上手過ぎた。お嬢さんが掻き集めたありったけの素材を、庶民にも伝わるようなわかりやすい味付けで盛り立ててくれた。コピーもいい。「恋をした、朝まで遊んだ、全世界に見つめられながら」なんてグッと来るのに。来たから観に行ったのに。CM制作会社に★2つを捧げます。)

(評価:★2)

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