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[コメント] 今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006/米)

いやね、やっぱ死ぬ時ぐらい好きなものに囲まれて死にたいよね。という最後の置き土産、かな。監督、いい夢見ろヨ。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なんだろうか、(彼らから見たら)若輩モノの自分が言うのもなんだけど、ひとつ思ったことが。

いろいろ思い悩み考えながら生きてきて、結局何を知るのかといえば、それぞれの事柄が何たるかという定義じみたことよりも、案外全ては同じ地の上にあること、一見対極にあるように見えるモノでさえ、全ては地続きであることを知ることなのかな、と。

舞台と楽屋、音楽と会話、嘘とまこと、現実と夢。彼らと彼らを映す緩やかなカメラは、まるでそこに境界が存在しないかのように、一見対義的なものの間をお構いナシに行き来する(冒頭の楽屋から舞台の間を緩やかに一つなぎにするカメラが印象的)。

そして、おそらく生と死の間にも明確な境界は存在しない(少なくとも自身では分からない)。死に対する畏怖、深刻さ、そして多分なファンタジーを抱く娘を尻目に、彼らはなかなか歩みを止めようとはしない。少しはしみじみしながらも動き続ける。歩き続ける。死は特別なものではなく、誰の上にもやってくる。大切なのは、お迎えがくるその瞬間まで、どれだけ歩き続けられるか、なのかもしれない。

境界の壁の前で戸惑って立ち止まることも、そうやって年を経るごとに少なくなっていくのかな。そして結果彼らのように、ある種の「軽み」が備わっていくものなのかな。と、そんなことを思いつつ、贅沢にも沢山の時間を使って考え込むなんて、実際若者だけに許される特権なのかも、とも。

まあそんなことはさておき・・・

一つ個人的な不満を言えば、あえて「天使」と自称させてしまっていることかな。解釈を委ねた方が面白いかと思う。けどまあ、その時の監督の心の有り様とかもあるとすれば、それはそれでありなのかな、とも。彼にとっての天使は、まるで昔の映画の中のファム・ファタールなヒロインのように謎めいてました。

どこまでも自分好みの世界なので必要以上に思い入れたくなるトコロですが、ここは一つ肩の力を抜いてこの位の点数にしときます。

(2007/7/22)

(評価:★4)

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