[コメント] ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(2006/米)
自由を求めて戦い敗れていった『イージー・ライダー』から三十数年。生粋の田舎者(偽物だが)がゆく超田舎者大国・アメリカ紀行。あり余る悪意と品位の無さが光るロードムービー。
『イージー・ライダー』の結末は酷いものだ。二人のヒッピーは通りすがりの田舎者にショットガンで吹っ飛ばされる。ヒッピーであるというただそれだけの理由で。アメリカのこの種の人々の狂信ぶりにはおぞましいものがある。結局、自由を求める二人のヒッピーは田舎者の狭量の前に敗れ去ったのである。
それから三十数年、ボラットは勿論そんなヘマはやらない。毒を以て毒を制す。というか、田舎者を以て田舎者を制す。それが彼のやり方である。普通であれば絶対に許されないであろう事も彼には許される。なにしろカザフスタンの田舎者である。むしろアメリカ人たちが無茶苦茶をやる彼に終始優しく、親切に相手をしてやっていたことが印象に残る。もしかすると、自由な人間とは田舎者のことなのかもしれない。
『オーケイ、あんたがすぐにでも自由になりたいのなら、まずパンツを脱ぐことだ。それから、自分がパンツを脱いだことを認め、別の性の誰かを見つけたまえ。もし、もうちょっと変わった人間でいたいのなら、別のことをしてもいい。ただセクシャルにやれ。それだけが、あんたを自由にする方法だ。』こう言ったのは、ミュージシャンのフランク・ザッパである。
サシャ・バロン・コーエンは風貌も似ているが、方法論からしてザッパを思わせるものがある。アバンギャルドで奇妙奇天烈、そしてなによりセクシャルなのだ。
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