[コメント] 赤い文化住宅の初子(2007/日)
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酷い目にあっても万事受け流す初子の所作は、絶望というキーワードから自分を徹底的に遠ざけようとする鍛えぬかれた習性から来ているんだろうな、と思わせる。自分を傷つけようとするものに対して、常にそっけなく処し続ける姿は、一旦波立ち初めてしまう心の恐ろしさをわかっていてやっているような、そういうリアリティを感じる。
すべてに鈍重ならいいんだろう的な適当な演技ではこうはいかない。ラーメン屋の店主に給料ごまかされたり、出張ヘルスのビラをいったんは握りつぶしたり、という「一瞬の動揺の後すぐさま立て直す」という一連の動作の流れの演技が上手いのだ。家のカギがなくつい家の中に向かって「おかあさん」と言ってしまうところや、下駄箱のところで三島くんに靴を投げつけて「王子様は靴を拾ってくれませんでした」なんていうところなど、脚本的にはあざとい感じなのに亜優ちゃんの声の震えや抑え加減が絶妙で、東亜優とタナダ監督は終始一貫そういう初子の所作を表現しきったと思う。
初子の描き方もさることながら、初子というキャラクターを得て描かれる大人たちのエゴの描き方のいきいきとした描写が素晴らしい。進路指導で担任を無責任だと叱った学年主任(?)に「われわれを春休みまで働かせるつもりなのか」と言わせたり、浅田美代子の義父(?)が初子に暴言を投げつけ、それをかばう浅田美代子がホントに初子を「大事なお客様」と思ってたと正体をあらわにすると、ふだんは無責任な担任教師がここぞとばかり救ってやるのかと見せかけて、実はまたしても酷い言葉を投げつけるという、どんだけ持ち上げて落としているんだか、という徹底ぶりに感心する。ここでの観客は初子目線で「これだから世の中は信用できない」と意を強くしてしまうのではないだろうか。江口のりこのエセ善人に尻で対抗する坂井真紀の、女の対決の描き方なんていうのはちょっと男の監督には描けないだろうな。
貧乏な主人公がいじめられる物語というのは70年頃量産されたわけだけど、それらのテーマは例外なく、主人公の「未来への希望」だった。虐げられていてもいつかは「あっち」に行ける日が来るという。ふらふらと心許ない三島くんとのくちづけにそれでも託していくしかないかな、という初子の心情は、確かな「あっち」がなくなってしまった今のわれわれの心情を代弁している。監督が初子を通して描きたかったことは、もろい世界と絶望を先送りしているわたしたちの関わりについての批判だったのかも、とも思ったりする。
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