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[コメント] 夕凪の街 桜の国(2007/日)

麻生久美子の演じたヒロイン皆実は、清らかな聖母のように素晴らしかった。が、被爆という問題を、はっきりとした登場人物の意志で物語ろうとせず、聖母の受難のように描いてしまうことで、原作がドスのように突きつけてくる批判性は損なわれてしまった。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヒロインの皆実が、銭湯の中でケロイドを持つ女性たちの裸を見ながら「全体この街の人は不自然だ。誰もあのこと(被爆)を言わない」と述懐するシーンがある。なぜなら、みな自分がわからないからだ、という。何となく伝わってくるかも知れないが、何がわからないといってるのだろうか?

映画にはないが、原作ではモノローグがこの後も続き、その中で割合はっきりと「生き残った自分たちが、生きているのか、ゆっくり殺されているのか、わからない」と言っている。生々しい表現になることを避けようとしたからなのだろうか?

物語の舞台となる原爆投下後十三年とは「もはや戦後は終わった」と言われた頃である。新たな命や生活が生まれだし、もう前を向いて歩こうという時流の中で、いまだ被爆と地続きにいる人間が、自分が「こっち」の人間なのか「向こう」の人間なのか、なかなか前を向くことができないでいる。原作の皆実は、はっきりと意志として、皆が前を向いているからこそ前を向いてはいけないのではないだろうか?という思いにさいなまれていた。前を向くと言うことは、「戦争がなければそこにありつづけた街や人(の記憶)」との訣別だ、と考える「べき」としているがゆえに、自分を前に向かわせようと背中を押してくれる「半袖のワンピース」や「いい嫁さんになるね」という、ものや言葉に対し、心の内でそれを望んでいるからこそ険のある言い方をしたり声を荒げてしまう。

諦観とはほど遠い、等身大の人間のちっぽけで偏った狭い思いとして描かれているこの心情は映画ではどこへ隠れてしまったのだろうか? 

「私が(被爆や被爆の前の記憶のことを)忘れてしまえばそれで済むことなのだ」という台詞は、遥か遠くまで見渡すような目ではなく、時間の流れの中に流れているだけの小さな目線から発せられているからこそあまりにも重い。「私が生きているという意味を知りたい」という皆実の思いの描き方も、映画のように、誰かに気持ちをわかって欲しかった、と、他者(打越)にすがりつくようなものではなく、原作では、始業前のオフィスで机に座っている打越に向かってはっきりと、教えて下さい、と言うのである。

もう言うまでもないだろう。映画では叙情性を重んじたせいか、あるいは何らかの意図のせいか、運命に対しはっきりと意志で向かい合おうとした原作のような激しさはないのである。

そしてその描き方の差が、皆実の死によって伝わってくるものの差となってしまっている、と思えてならない。それは、原爆が戦争が奪う命とは、生きている者たちの記憶と意志なのだ、ということだ。皆実の死とは、皆実のように思い悩み、考えてきたことの死なのだ。

彼女が死んでしまうことで、ひょっとしたら人類はもう二度とそんな思いを手に入れることが出来ないかも知れない。そして皆実以外の大勢の人たちそれぞれの記憶や意志。私たちはとんでもなく多くのものを取りこぼしつつ前進しているのかも知れない。そんなことさえ想像させてくれるのが原作だとすれば、本作(映画)では、清らかな誰かの死という茫漠とした悲しみでしかない。やはり、それだけではないだろう、と思わざるを得ない。

多くの記憶や意志たちが過去に置き忘れたままになってどんどん埋もれていく。そのままでは物語を終われない、だから「この物語は終わりません」と言ってるのではないだろうか? この映画の「この物語は終わりません」は、なんだか「後編に続きます」というアナウンスだけのようにしか聞こえないのだ。

余談です。

われわれはほとんどの過去を歴史としてしか把握できない。それは振り返ったときの時代、振り返る時の姿勢、他の出来事との関連づけの仕方、マクロな視点ミクロな視点、そういうものでさまざまな見方のできる一個一個の点の列のようなものととらえがちだ。そこにはその時代を確かな現在として暮らしていた人たちの記憶というものがなかなか見えてこない。山田太一は「獅子の時代」のシナリオ本のあとがきで、西南戦争が起きた日の新聞に、戦争の記事を扱った同じ紙面で「便所紙を使いすぎて怒られた嫁の話」が載っているという事例をあげて、当時、西郷の戦争とは地元鹿児島以外では便所紙と同じ程度の関心でしかなかったのかもしれないという、歴史事実と時代の肌身の実感の差のようなものに触れていた。ヒロシマと原爆の認識について言えば、原爆投下直後の広島では、現在の平和式典の前進にあたる復興祭において「ピカ」を名物として地元を盛りたてていこうとする主旨が語られている。「ピカドン音頭」が作られ、原爆ドームの横を流れる元安川ではボートレースも企画された(企画だけだったようだが)。それが数年経つうちに、原爆が「過ぎてしまった事」でないことが明らかになってくる。後遺症、そして遺伝。広島・長崎の原爆投下から約十年、第五福竜丸の水爆実験による放射能被曝、水爆マグロという食卓を直撃した事件をもって初めて核の恐ろしさを人間は知ったのだ。そしてそれでも前を向いて行かなければとする気持ちや、皆実の結婚を願う母が、弟の嫁に被爆者を迎えることを嫌悪するような心情。十年の記憶、その後の十年の記憶…そういったものを年表でとらえることは難しいからこそ、歴史文学やドラマがそこに生きた人たちの記憶や意志を語ることは重要だと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)死ぬまでシネマ[*] 水那岐[*]

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