[コメント] 天然コケッコー(2007/日)
キャワイイという存在するだけで価値がある事は、それに際した観測者にとっては感情の強制であり暴力である。その強制力が有標化するキュンキュンな傷みを思春期・卒業・ゼロ年代のノスタルジーと取り違えてほしい欲望がある。
感情の混線は山なのか海なのか、田舎なのか街なのか、無医村のわりに祭りは混雑するような、把握しがたい空間的表象を構成し、その究極として雨月物語的時間倒錯に至る。そこに顔を出した別の夏帆の不穏さは冒頭の幽霊騒ぎと連結する。美の暴力は当人にも及ぶのである。
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