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[コメント] ヘアスプレー(2007/米)

ひどい時代のひどい街に生まれたひとりの女のコが体現した生き方に、不覚にも初っ端から涙してしまったよ。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この映画に描かれる60年代のボルチモアは決して愛すべき街なんかじゃない。誰もが貧しく、薄汚い街角はドブネズミに占拠され、朝っぱらから露出狂が徘徊し、酒場ではアル中の失業者がクダを巻く。大学は黒人の入学を拒否する。そんなひどい街で人生を輝かせるために、人はどう生きたらいいのか。映画が提示したアイディアは至極単純だった。目が覚めたら「グッドモーニング」と言えばいい。目に映る景色のすべてを愛してみればいい。歌いたければ歌えばいいし、踊りたければ踊ればいい。正しいと思うことがあるなら、正しいと思うように行動を起こせばいい。それらのアイディアは人種差別を撤廃するためのHowToなんかじゃないし、政治的なメッセージでも教訓でもない。人が与えられた環境の中で、クソみたいだとしか言いようのない社会の中で、少しでもマシな人生を生きるためのひとつの提案だ。あくまで観客個人個人へのアプローチだ。

 私はこの映画を観て、明日から少しでも笑うようにしようと思った。目を背けたくなる色々を愛してみたいと思った。そんな、とても個人的なことを考えた。あんなにひどい街なのにトレーシーたちはとても楽しそうだったし、私だってせっかくなら楽しい人生を送りたい。ただ単純に、そう思った。

 *

 他の作品のレビューにも何度か書いたけれど、私は30歳を超えた今でも人種差別に関して自分の立ち位置が把握できずにいる。この問題において自分がマジョリティなのかマイノリティなのかもよく解らない。そのくせ自分を「受け入れる側」だと勝手に思っていたりもする。立ち位置が曖昧だから、正しいことは言えても正直な意見は言えないでいる。

 いや、正直なことを言ってしまえば、黒人たちがデモを蜂起した場面で私は彼らをハッキリと「恐い」と思った。それまで彼らのダンスに心地よく酔い、「黒人であることが誇りだ」と歌い上げる姿に羨望すら抱いていた自分が、いかに彼らの心のうちに燻る深い怒りから目を背けていたかを痛感させられた。映画にそうした意図があったかどうか解らないけれど、あの瞬間、彼ら黒人たちの瞳の奥に暗い怒りの炎が宿ったように見えた。私にはその怒りを推し量ることは到底できないし、決して理解などできないのだと思った。そして、理解できない相手が集団で目の前に現れたとき、私は「恐い」と感じるのだという事実を今さらに突きつけられた。「差別はよくないことだ」私だってそれくらいのことは言える。誰の前だって、胸を張って言える。正しいことを言うのはとても簡単なことだ。だけど心の奥底じゃ黒人が恐いし、私が生れるずっと前から蓄積されてきたその怒りが恐いし、この恐怖心こそが差別の根本であることが理屈では解っていても、私はそれを克服してなんかいなかったのだと思った。

 そんな自分がこの映画のエンドロールを見送った今、「誰もが自分の人生を楽しく生きれば、もしかしたら世界が変わるかもしれない」なんて、浅はかな希望さえ信じたい気分になっている。とても無責任に、無益に、そんなことを考えている。

「そんなのいいから、一緒に踊ろう?」

 トレーシーならきっとそう言ってくれるかな。そう言ってくれるといいな、と思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)プロキオン14[*] かるめら[*]

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