[コメント] 再会の街で(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
アダム・サンドラーが喪失から一歩前に進む“再生”の話が主軸ではあるが、それと同時に、ドン・チードルが家族を取り戻す“再生”の話でもある。仮にこれが「911」が絡まない事故による死別だったとしても、この映画なら大丈夫だったはず。それだけしっかりと人間ドラマを描いていた。哀しみに満ちた内容だが、それを克服するパワーを感じさせてくれる映画だ。
「911」が題材であることはそこまで直接的に語られない。これが効果的だったと思う。サンドラーが初めて自らの口で死別悲嘆を口にする際(ここでのサンドラーの泣き演技も必見!)、彼の口から「あの事故」であったことが語られるからだ。そこで、感情がグっと高ぶる。深すぎる悲しみが伝わってくるのだ。
サンドラーはもともとコメディ俳優として、弱々しい感じから突然キレキャラに変貌するというのがお家芸。そんな彼の、状況によってキャラクターが変貌する様。それは、こういったシリアス映画でも役としてきっちりハマっていた。夜な夜なライブやら、映画やら、いろいろと連れ回しながら、笑わせてくれる場面も多数あった。普段通り演じて、それが型にうまく適合した印象だ。この題材へのサンドラーの起用が吉と出ていたのが、非常に良かった。
ドン・チードルも、サンドラーに振り回されつつも、自らが抱える問題を常に意識させてくれた。楽しそうにしているときでも、どこかに不安の表情を垣間見せる。脇役のようで、しっかりと主役の仕事をしていた。
最後のシーン、ジェイダ・ピンケット・スミス演じる妻と和解する電話での会話によって、観客を暖かい気持ちにさせ、落ち着かせてくれた。彼は、今そこにいる家族と、これからまた関係を取り戻すことができる。怒鳴ったまま死別してしまうという悲惨なことはない。そこにいる、ただそれだけで暖かく大切なものである家族の存在を、友人の体験を通して浮き上がらせていた。こういったことが、物語としての深さを感じさせてくれる。
また、余談ではあるが、プレイステーション2ソフトの「ワンダと巨像」を何度も繰り返し見せていたのは意味があるのかもしれない。
実際にゲームをプレイしたので書けるのだが、プレイヤーは自らの何倍もある巨像の体によじ登り、小さな急所を狙っての撃退を目指すのがこのゲーム。必殺技など存在せず、地道に倒さなければならない。巨像が動くたびに、よじ登っている最中で吹き飛ばされそうになったりしながら…。一撃必殺なんてない、じっくりじっくり対処法を探っていく感じ、この映画での人間が立ち直る過程に似ているのかもしれない、とふと思った。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。