[コメント] 椿三十郎(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
2004年に『丹下左膳 百万両の壷』が豊川悦司主演でリメイクされた。それは忠実過ぎるリメイクであり、私はそのコメントで「撮り直し」と表現した。そして名作のリメイクという無謀な冒険をあえて支持をした。
それは映像も音も劣化した状態のオリジナルが若者に見向きもされないのは自明の理。ならばカラーで人気俳優を起用して・・・という姿勢にオリジナルへの底知れぬ尊敬の念を感じたからだった。自身の作家性を押し殺してでも現代に伝えなくてはならない映画がある。そんな意気込みとメッセージを感じたのだ。
そして本作。企画発表の段階で正気を失った映画ファンは多いはずだ。コアな映画ファンにとってリメイクはオリジナルを越えることなど決して無いという不文律がある。小説ファンが映画化された作品に文句を垂れるなどの比ではない。
私は今回の企画に上記のような「崇高」な使命感やメッセージを読み取ることは出来なかった。何故ならオリジナルは「未だ」物質的に劣化していないし、ましてや映画人・映画ファンの心の中で決して風化などしていない代物なのだ。
そんな作品を何故?
昭和の怪物プロデューサー角川春樹は刑務所暮らしを経た平成の世でもその手腕を発揮し始めたのか。映画を小説とリンクさせ、大量のCM露出で邦画を復活させた功績は誰もが認めざるを得ない事実だが、私はどうしても「崇高」な理念などが感じられないのです。どうしても金の匂いの方を強く感じてしまうのです。まったく根拠もへったくれもない感想ですが・・・
そんな訳で今回の脚本の使い廻しという最大の特徴が、「理念」ではなく「保険」に感じてしまうのです。
しかし、こんなグダグダのコメントを書いたところで、「面白い脚本からは面白い映画しか撮りようがない」のも事実。当然のように面白かった。普段は白黒映画なんて絶対に観ようとはしない友人たちもこんな綺麗なカラー映画なら鑑賞する気になるかもしれないのかな、なんて思ったら少しはコアなファンの溜飲も下がるというものです。
ラストの執拗に繰り返されるスローモーションの殺陣の演出が如何に気持ち悪かろうとも、面白い映画には変わりがないんですから。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。