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[コメント] アイ・アム・レジェンド(2007/米)

戦争やテロが身近にある国はSFアクション映画を作るのが上手いと思う。その代わり、戦争やテロが身近にない国には「見た目」だけしか評価されないのが難点。(レビューには『地球最後の男』のネタバレあり)
BRAVO30000W!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 基本的にこの映画は「宇宙人侵略モノ」とは違った観点から「外敵の恐怖」を描いていると見た。リチャード・マシスンの原作は太平洋戦争を、それをベースに作られた『地球最後の男』はベトナム戦争を背景にしているところがあり、故に本作は911事件(テロリズム)をベースに作られていると言っても過言ではないだろう。

 いや、直接911事件をモチーフにしているのではない。そのような国民的トラウマを呼び起こすような事件が起こった国の人間ならではの発想と、ものの見方を狭くすることを時には皮肉を込めて、時には警告の意味で「もっと視野を広げよう」とばかりに映像化(もっともわかりやすい手段)する人種だからこそ、この作品は三たび映画化され、本国でも評価もすこぶる高い(※参考:IMDb での6万件以上におよぶ人気投票の結果は7.3点/10点)。

 個人的には最初の映画化作品『地球最後の男』のように、主人公は実は新人類にとって「伝説の殺人鬼」だったというドンデン返しと原作原題の"I Am Legend"がシンクロしてくれたらよかったのにと思ったのだが、本作は2回目の映画化作品『オメガマン』と同じ「英雄的に死んで伝説となった」というパターンだったため、シニカル・インパクトに欠けた感がある。以下、主観的雑感。

 癌ワクチンの開発が仇となって脅威的なウイルスを蔓延させてしまっているという設定は、表向きはパンデミック・フルーやエイズなど人間が対抗手段を持たないウイルスの恐ろしさを表現していたり(食物連鎖の頂点にいるのは人間ではなくウイルスである、という説に基づいてこの映画は作られていたりする)、科学に頼って神をも恐れぬ行為に及ぶ人間への警告でもあったり、SF的な捉え方(現実社会のメタファー)はいろいろできるのだが、実際は「驕れるアメリカは久しからず」という、ある種『インディペンデンス・デイ』的な前振りに見えた。これは深読みすると、イラクへのアメリカが施した「押しつけの善意」「偽善的な慈善」と解釈することもできる。

 それがきっかけで人類(と言っているが、現実社会では「アメリカ国民」)が犠牲になり、免疫のある軍の科学者(=アメリカの良心=失ってはいけないアメリカ国民の教義)がグランド・ゼロ(発信源)であるニューヨーク(=アメリカを象徴する「世界の中心」=911の被災地)が、抗体を作り出そうと(=テロの理由を探ろうと)日夜研究に勤しむことになる。

 主人公が気も触れず三年もの間孤独な日々を生き抜けたのは、科学者の探究心というのも基本にはあるだろうが、目の前で不慮の死を遂げた(ウイルスではなく人災)妻子との約束を果たさないと「生き残った者」としての責任が果たせない、という、これまた「アメリカ人が失って欲しくない自己犠牲の精神」みたいなものの象徴であるような気がする。だからこれを見たアメリカ人は、違和感なく「だよね、だよね、妻子との約束果たすまでは死ねないよね」と共感することになるだろう。

 ナイトシーカーに対する主人公の解釈の仕方が面白く、観客側からすれば明らかにコミュニティの仲間としてか彼女としてか妻としてか娘としてかを奪還しようとしているナイトシーカーたちの行動原理はわかるのに、彼らが研究室を襲撃するまで主人公は理解していなかったり、罠を仕掛けられるまで彼らに知性がないと思い込んでいる描写は、イラクが何を考えているのか本質を捉えていないアメリカを揶揄している、あるいはイラク側を主人公に置き換えて、ナイトシーカーをアメリカとしていると見ることができる。

 最後に女子供を逃がして自分が盾になってナイトシーカーもろとも吹き飛ぶシーンは、自爆テロに至る理由を見せつけているようでもあり、ナイトシーカーとはいえ殺戮した者がとるべき代償のようでもあり(最近のアメリカ映画は特に「悪いこと」をした分、その人物に代償を支払ってもらう作りになっている)、「大人が起こした問題」を女子供(未来の象徴。女は子を産み、子は将来の社会を作る)に背負わせず、大人自身が責任をとる行為を象徴しているようでもある。もとよりグランド・ゼロから離れない(=責任を放棄しない)と言っているのだから、女子供と一緒に逃げるという選択肢はなかっただろうし、逃げていても手持ちの武器・弾薬ではどうしようもなかったのだろう。あそこで自爆して食い止めるのが関の山だったのだ。そこが都合良く家屋内の武器弾薬を総動員して「力押し」で脱出を試みようとした過去のアクション・バイオレンス(=アメリカの力強さ)作品とは一線を画すところだと思う。

 多くの一般日本人レビュアーたちが「結局神はいるって話かよ」と半ば呆れた風潮で書いているコメントが散見されるが、科学的な見地からの「神」の解釈を本作はしていて、何でも「神任せ」にしかねないアメリカ国内のチープな宗教観をも揶揄しているともとれる。  つまり、若い女の子とその弟(かあるいは生き残り5人の中生き残っただけの子供仲間)からすると、何もわからないまま教えられてきた「神」の「御業」としか思えず、「神の意志」で主人公と会ったという彼女に、自分の妻も子も救ってくれなかった(ヘリが離陸する直前に神への祈りを捧げているのにも関わらず)が故に「神などいない」と「現実を見つめることしかできなくなってしまった科学者」は思わず憤りを露にする。  ところが、最後に彼女の首筋にたまたま彫られた蝶のタトゥーを見て妻子を思い出し、妻子を救えなかった代わりに彼女たちを自分は救わねばならないと悟った瞬間「神の声を聞いた」と思ったのだ。それは偶々の出来事にすぎないのだが、それが全てつながると(タトゥー→実娘のチョウチョ発言→妻子を救えなかった→今彼女たちを救わなければ→救うためには彼女たちに血清を渡し、自らが盾になる)「神の意志」すなわち「とるべき行動」「選択すべき判断」が導きだされるということなのだと思う。

 故に彼女たちは何がきっかけで難民キャンプ村を知ったのかを彼に語らず(「神の意志」だと思ってるから)、それを映像でも台詞でも説明はしていないのだと思う。過度な説明は逆に心に残らないことが多いからと制作者側は判断したのだろう。

 同じほ乳類の犬はゾンビ化してるのに、他の鹿やらライオンやらはどうなのか、という疑問をもたれている人も多いかと思うが、そもそも「そういうものだ」と言ってしまえばそれまでで、そこは突っ込む意味はあまりないと思う。そもそも原作や『地球最後の男』で登場した犬のシークエンスが発端で本作品も犬を登場させているのだと思うから、犬についての説明まではするけど、ほかの動物に関してはしない、ってことだと思う。観客は本来「映画」を観るべきであって、専門的解釈を必要とする要素は背景の如く流して観るのが礼儀ではなかろうか。まあ、それだけ物語に惹かれなかったということの裏返しなんだろうけど。

 誰かが最後に出てきた村の防御力を心配していたが、女の子が語っていたようにウイルスは寒さで根絶しているという「神の教え」を素直に受け止めれば、ナイトシーカーは都心部ほどいないだろうから、そんなに塀を高くする必要はないのだと思うよ。電磁バリアとかもしてるんじゃないの? それだけまだニューヨークよりは平和ってことを読み取らないと。

 最後に嘘くさいほど新しい車が出てくるが、これは『地球最後の男』なんかでは「カーショップから新車を持ち出す」というシークエンスがあり、それを説明抜きで流用してるのだと思う。細部にこだわる(街を封鎖して200日間撮影して、おまけにCGIなどで汚しを入れたりしてた)スタッフが敢えてピカピカの新車を持ってきたのだから、それくらい読み取ってあげないと。

 いずれにせよ外敵からの恐怖に鈍感な日本で観ると「無人のニューヨーク、すげー」という感想が圧倒的に多くなっても仕方がないと思う。

(評価:★4)

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