[コメント] 白鯨(1956/米)
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若過ぎただけではない。多分、眼が違うんだろう。後年、グレゴリー・ペックは自分でも「足りないものがいろいろあった」だの「忘れて欲しい」だのと言ったそうだけど、いまやDVDで誰でも気軽に好きなときにいくらでも観られる時代になってしまった。可哀想だけど、エイハブ船長の呪いと思って諦めてもらうしかない。
『白鯨』は神話である。しかし、ジョン・ヒューストンはこれを「男たちの冒険活劇」として撮っている。どうしてもそうなってしまう。その意味では無論成功していて、特殊効果に時代を感じようが、それを問題にしないくらい画面に力があり、いま観ても迫力のあるドラマに仕上がっている。
しかし、おそらく、そうした自身の資質だけではこの原作の映画化には不足と考え、レイ・ブラッドベリやらオーソン・ウェルズやらを連れて来たに違いない。船が出帆するまでは別の物語のようだ。レイ・ブラッドベリの脚本は詩的で風やら匂いやらまで感じさせるし、オーソン・ウェルズが自分で書いたという自身の説教シーンには観客を神話の世界に引き込む力がある。
監督はこれを「神話的冒険活劇」にしたかったということだろう。あくまでその線でのグレゴリー・ペックというキャスティングだったのかもしれない。一度はオーソン・ウェルズをエイハブ船長にとも考えたというが、「神話」と「活劇」の間で微妙なバランスを取ろうとする監督の逡巡が感じられる。
しかし、エイハブ船長の「アクション・シーン」は、ラストで白鯨に自らをくくり付けて銛を突き立てるところだけだ。たしかに、ここではオーソン・ウェルズよりもグレゴリー・ペックの方がずっと見栄えがするだろうけど。
つまり、「神話的な」脚本を手に入れた監督は、しかし、「活劇」的な要素が少ないと感じてバランスを取ろうとしたのだろうか。音楽までも「神話」ではなく「活劇」よりだ。しかし、そのバランス感覚は「活劇」の魔力に取り憑かれて無謀な突撃を繰り返す狂気になっていたかのようで、結果は「神話的要素」と「活劇的要素」が統合されないままのチグハグな失敗作になってしまった。エイハブ船長の呪いと思って諦めるしかない。
捕鯨反対の風潮が強い現代では商業的に無理なのかもしれないけれど、この作品こそリメイクして欲しい。脚本は素晴らしいのだから。さて、キャスティングはどうしよう?
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