[コメント] 魍魎の匣(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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少なくとも、逃げや誤魔化しはなかったと思う。それが何より嬉しかった。
以前『姑獲鳥』を観た際のレビューで、キャラクタリゼーションに対する不満をタラタラと連ねたけど、冷静になって考えてみれば、原作のキャラ一人ひとりそれは魅力的ではあるけど、多分に漫画的であることも否定はできないと思う。二面性はあるけど、多面的ではない、と言えばいいのか。それをそのまま実写に置き換えてやったとしても、果たしてどうなんだろうか、ということを本作を観ながらずっと考えていた。
小説でもなく、アニメーションでもなく、実写でやる。生身の人間が演じているのに、そこに生身の臭いがなければ、それはそれで不満にもなるのでは、と。それを逸脱しない範囲で適度にデフォルメをつけながら、思いの外それぞれの役者が生き生きと演じている本作を観て、ある程度納得できるものがあった。原作をリスペクトすることと、追随することは必ずしも同じではないんだよな、と。そのあたりの姿勢が曖昧だった前作に比べたら、数段楽しめた。
話に関して言うと、京極作品というのは、それぞれに様々なウンチクや趣向を凝らしているとはいえ、骨格は至って明確で、お決まりの展開に支えられている。乱暴に言ってしまえば黄門様とか仕事人シリーズとかと同じで、「いよっ、待ってました!」な世界なのだ。印籠が「憑き物落とし」で、「この紋ドコロが〜」が「この世に不思議なものなど〜」に近い、とも言える(かも)。あとは仕事人たちの趣向を凝らした手捌きにワクワクすればいいワケで(この辺りはむしろ「巷説百物語」の方が顕著か)。つまりは、プログラムピクチャーとの相性は、決して悪くはないと思う。
ただ、作品中の「起」と「承」のパーツがあまりに肥大化しているので(そこが醍醐味という人も少なくないと思うけど)、纏まりのある作品として映像化するのが難しいのだと思う。その難しさを踏まえた上なのか、本作はむしろその部分にエンタメ職人的な手際の良さを感じた。が、面白いのが本作がイビツになるのはその後の部分。作者の妄想に本気で付き合い過ぎた揚句、唖然とするほど異形の、ナンダコリャなスペクタクル。ミステリーの枠を壊す位肥大化して、SFの域にまで侵食しているような。思わず笑った。
ともあれ、全編通して大小様々なスペクタクルの面白さを満喫できた気がする。けど、惜しむらくは、全てが一つに集束するという意味での「結」の部分が他に負けて、かなり薄い印象になっていることかな。でも、ここまでやってくれたので、次が観たいという気にはなりました。個人的には。
余談:少数派かもしれないけど、一番楽しみにしている映像化は「鉄鼠の檻」。右を見ても左を見ても坊主だらけ、な圧巻のスペクタクルを楽しみにしてます。『薔薇の名前』の向こうを張る位の。
(2007/12/23)
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