[コメント] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(2007/米)
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何だろう。僕の知っているティム・バートンは確かに“狂気の人”であり、この映画も確かに“狂気の映画”ではあるんだけど、何と言ったらいいのか、狂気の質が違うというか、近いんだけど食い合わせが悪いというか、歯車が噛み合っていない気がする。正直なところ、CG全開のやけに粘着質でやけに赤黒い血が流れるオープニングで、既にこの違和感は感じていた。
考えてみればこのバートンという人は、箱庭の中にいる人形に命を吹き込むときに、最もその力を発揮する人だ。更に言えばその狂気に満ちた露悪的な箱庭の中に、ひとひらの情愛や哀切を隠し入れることで物語に厚みを生み出す人だ。もちろんバートン映画の全てがそうというわけでは全然ないんだけど、少なくとも彼が高い評価を得ている作品は概してそうだと思う。
ところが今作のストーリーはそれほど優しいものじゃなかった。いや、これはストーリーのせいじゃないか。「バートンが描き出したかったもの」がそうではなかったってことなのかも知れない。
僕には今作が、「バートンがバートン的世界観の中で、今までなかったほどのナマの狂気を描こうとした」ように見える。殺戮、血飛沫、人肉食、救いのない物語。だけどそれらがバートンの世界観にパッケージングされてしまったことで、残念ながらその狂気は極端なまでに薄まってしまった。血飛沫はどこまでいってもニセモノの血飛沫にしか見えない。オープニングの血流に感じた違和感もそういうことだったんだろう。
バートンはこの物語をずっと映画化したかったらしい。だとしたら、どうせならもっともっとブラックでコミカルな、バートンにしかできないスウィーニー・トッドにした方が良かったんじゃないか。観客を終始ニヤつかせ、美しい血飛沫を飛び散らせ、それでいて最後に真っ暗な終わりに突き落としてくれていれば、きっとウットリとイヤな気分に浸れる2時間になったと思う。それができる人だと思っているだけに、何かちょっと損した気分だ。
あと若き船乗り役のジェイミー・キャンベル・ボウアー。役柄の割にずいぶんと何だかなぁな顔で、ジョアナジョアナ歌っている様がちょっとアレだった。何だかなぁ。
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