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[コメント] ミスター・ロンリー(2007/英=仏=アイルランド=米)

映画的細部の豊かさ。この世を越えた自由に憧れる、物まね芸人達とシスター達。主人公が真似るマイケル・ジャクソンは、劇中にも登場する黒眼鏡と黒マスクで顔を隠し、他人の視線への敏感さを覗わせていた。彼の死は、本作の印象を幾らか変えた気がする。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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主題にふれる前に、この作品の映画的な細部の豊かさに言及しない訳にはいかない。ヴェルナー・ヘルツォーク演ずる神父が、浮気のせいで妻子に逃げられた男と口論するかけ合いの可笑しさ。法王の物まね芸人が、泣きながら「ちびっこギャング」の物まね子役に風呂で洗われる光景。「ちびっこギャング」が馬に乗って、鶏と女の乳房への欲望を呟く台詞。チャップリン芸人が座ってブツブツ独り言をしている姿。シスターの飛翔シーンでの空のスケール感、空と同じ青い服のシスター、風の音の凄まじさ。食糧投下シーンでの、ヘルツォークの畳み掛けるような台詞の躍動感。マリリンの肌を焼く太陽のスマイリーフェイス。

コミュニティを訪れたマイケルに、モノマネ芸人たちが一人ずつ自己紹介していく場面では、映る顔の背景が、青い空と白い雲。この事と、シスター達が、同じように晴れわたった空を飛ぶ場面。互いに関係を持たない、芸人達とシスター達の物語は、この世の外、天国のイメージによって繋がっている。

リンカーン大統領がジェームズ・ディーンにはっぱをかけて煩がられる事。チャップリンがマリリン・モンローに「時々あなたがチャップリンじゃなくてヒトラーに見える」と非難される事。エリザベス女王が法王ヨハネ・パウロ二世と同衾している事。こうした時空を超越したアナーキーな画の凄まじさもさる事ながら、芸人達の中になぜか赤頭巾がいる事や、子供芸人が鶏やイルカになりたがっている事なども、物語の舞台をよりファンタジーの域へと飛翔させる。

彼ら芸人達が、本人と全然似ていないという事の儚さ。芸人同士で共同生活などをして、ぬくぬくと共同幻想に耽っているからショーに客が集まらなくなってしまうんじゃないかと、ひと言注意したくもなるのだが、そうした、ボロの見える幻影に縋りつく姿の哀愁、「似ていない」という「現実」は、この映画につきまとう死の影のひとつの表れなのだ。

芸人達が幻影に縋る事と、シスター達が神の奇蹟に縋る事。「誰にでもなれる」という幻想と、「信仰さえあれば死を越えられる」という幻想。コミュニティで、感染病の疑いのある羊たちが射殺される場面で、法王のモノマネ芸人が高い所で説教をしている光景と、本物の法王(ヨハネ・パウロ二世ではない)に会いに行こうとしたシスター達が墜落死する事。この世ならざる何かに一度は触れたかに思えた者達の、現実と死への失墜。芸人達の色とりどりの格好と、シスター達の判で押したような同じ姿とは対照的だが、個々の人間としての存在を消しているという点では同じでもある。

マイケルは、パリの部屋を去る際にも、部屋に向かって「僕は君の事を忘れないから、君も僕の事を忘れないでくれ」と挨拶する。そのように、自分の存在を誰かに伝え、残したいからこそ、マイケル・ジャクソンとして人目を引こうとしたのだろう。だが、彼をパリから連れ出したマリリンの死で、マイケルは「マイケル・ジャクソン」を捨てる事になる。その理由は、最期までマリリンが、「贋物のマリリン・モンロー」という虚像としてしか存在し得なかった事を目の当たりにしたからである筈だ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)irodori[*] moot

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