[コメント] ノーカントリー(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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現代版『風と共に去りぬ』と言っても良いんじゃないのこれ。オールドマンたちが古き良きアメリカに想いを偲ばせてる内に、どんどん変わりゆく国アメリカ。映画の形式としては一緒なんじゃないか。ただ主人公たちがトゥモローをアナザーデイとして見てるか見てないか、という決定的な違いが存在するだけで。
とりあえず殺しまくりなくシガーさんには人道的視聴者に揺さぶりをかけるようなサービス精神なんて更々無いんだよな。ただ金。金金。不幸な生い立ちとか自分が信じる正義なんてくそくらえな訳ですね。シガーがどうでもいい相手を殺すか否かを決まるのは一枚のコイン表と裏。冷酷非道ここに極まれり。まだゴッサムシティにハリケーンを起こし人々のモラルに揺さぶりをかけた動機無ッシングクライムマスタ―ジョーカーさん(『ダークナイト』)の方が人道的に優位かも知れない。
そんなシガーが、人道的な少年に気を取られ大怪我を負い、その人道的な少年に助けられるラスト。(この少年たちが人道的なのは中盤でモスが上着を求めた青年と比較して明らか。)シガーのような人間、世代はアメリカを変えた。「敬語を使わなくなった結果がこれだ。」しかしそのシガーは図らずも新たな世代により太陽に白骨を晒すようになる。そしてその世代に助けられ、金を渡そうとする。拒否する相手を脅してまでも執拗に。「聞かれても俺のことを言うな!」果たして執拗なまでその拒絶は、作中で始めて彼が見せた必死な形相の由縁は、この台詞だけに基づけられて良いのだろうか?
そしてモスモス連呼されて日本人としてはモス・バーガーが食べたくなる逃亡者モスくん。個人的には彼より彼の妻の方が心にキたんだけど、何故彼は追われるようになったのかを考えよう。金を持ってさっさと逃げればよかった。瀕死の男など正直助からないだろうし、助かったとしても俺たちに明日はないと言わんばかりの危ない空気が現場にはプンプン。何故モスはそんな男しか居ない場に戻ってきたのか。男が言ってた台詞を思い出そう。「水をくれ…水をくれるだけでいい」
二人の追われる男たち。二人の敬語を使わなくなった「結果」。 それぞれ二人の出番は人道的な行為により幕が明け人道的な存在により幕を降ろした。
最後にベル保安官。最初から最後まで傍観者。現場を傍観するだけならよかった。彼が傍観出来たのは弾丸が飛び交い血がしたたる現在進行形の現場ですらなく、最早完全過去完了となった"過去の"現場のみだった。そして最後のチャンス。殺し屋との対峙。彼が何十年間も貫いてきた正義が犯人逮捕(又は殉職)という形で実を結ぶか。息を飲む。そして映されるのはポッカリと空いた鍵穴。
彼がラストに見た夢。焚き火をする為彼方へ消え行く父。ベルはその炎の暖かさを確信し、険しい雪道を行く。おまけに山なのだから、時には立ち塞がる上向きの傾斜に息を切らし、時には爽快な歩みをもたらす下向きの傾斜の存在によって平坦な道の快適さを忘れたりもするのだろう。その山で彼は、全てを傍観して歩くことしか出来ない。いやしない。彼にとってはその生き方しか残されていないのかもしれない。ビザンチウムへの船出までの船場、アメリカ。それがオールドマンたちにとってのカントリー。しかし、頭にNoが付くか?
正直見たばかりでおののいているので箇条書き。もう1回英語字幕で見たらまた書くかも。 ベル保安官の夢についての解説は、町山智浩先生の解説を参考にさせていただきました。有り難うございます。最後のビザンチウンムの船云々はこの解説から。http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20080320
追記:題名のNO COUNTRYなOLD MENについて考えてみたんだけど、"国が無い人間"が「時代に取り残された老人」だととすると、「時代に取り残され傍観を選んだ者」がベル保安官で「時代に取り残され傍観を選ばなかった者」がモスの姑かなと。取り残された癖に傍観を選ばなかった者の醜いこと醜いこと。大量殺人鬼や殺人を指示するだけで自分は腰を降ろしている大企業の社長より病に犯されたおばあさんが醜く感じた映画というのも初体験。
(追記すると投票数が消えることを知らず追記してしまいました…投票してくださった方すみません。)
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