[コメント] 接吻 Seppun(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「評価」するものとされるもの。両者の関係は相互的のようでありながら、ほとんどはする側からされる側への一方的な関係のように思う。上から下を見下ろす関係といってもいい。つまり、評価する側は、それを本当に評するだけの公正さも定かでないまま、勝手に「評する」ことで公の価値観を作り上げてしまうのだ。黒澤明が日本アカデミー賞の受賞を拒否したのは、評価される作品に対して、授賞する側がそれを評価するだけの資格がない、という思いからだろう。わかってもない奴から勝手に評価されることで、評価されるほうは貶められてしまうのだ。そういう場合「評価」で結びつく両者の関係は、片方からの思いだけが寄せられ、世間にばらまかれていくことに対し、もう片方はそれを断絶する以外に手がない。評価自体は、それをいくら否といっても取り消せないのだ。人を評するということは、する側とされる側の相互理解がない限り強姦のようなものに近いのかも知れない。
京子が坂口に対しシンパシーを感じたのは、私のことを何もわかっていない連中が、私をこうだ、と勝手に決めつけるが、一体何様のつもりなのだ、という、自分と世間の間の釈然としない関係性を気づかせてくれたからに違いない。自分を一方的に評してきた世間を甘んじて受け入れるしか他に手がないとずっと思い込んでいたのだが、評する側に対し冷笑をあびせることで対抗できる、すなわち評価する側を冷笑することで逆に評価することができ、そのことで両者は対等になれるのだ、ということを気づいたのだと思う。
京子の坂口に対する思いが、そのような自己愛からくるものであったことは、坂口が「自分が求めていた人と違った」とわかってからの心情の急速な冷却を見れば明らかだろう。皮肉にも、京子は坂口を一方的に、自分と同じ敵を持つ同士、と評していたのだ。評価というものが一方的だとすれば、自分が自分に評価を下すということはどうなのだ? そして自分が、誰かや世間に向かって下す評価とはどうなのだ? と、作品は問いかけていく。
坂口は、自分が愛情を与えられなかったことに対し、殺人を犯し何の情もわかない自分というレッテルを貼って、情というものを与えることをしないし、よって与えられもしない、「気持ち」というものの欠落した出来損ないの人間、とし、同様に殺される側(世間)にだってそんなものはないのだ、と評したのだ。だからそこで一応完結していたのだ。ところが、その自分に情を寄せる他人が現れたことで、その評価がくずれていく。坂口は、京子が自分のことを本当に理解して好意をよせているのではないことに、だんだん気づいていった(いや最初からわかっていたかも知れない)、でもわかった上でその「気持ち」を受け入れたのだと思う。それは坂口の中で「殺された側の気持ち」が無視できなくなってきたことをもって知る、その一方的ではあるが京子の情が嬉しかったからだろう。
このドラマはが最もいけてるのは、そこからさらにその問題に踏み込んでいくことだ。坂口を殺すことで坂口を評した京子は、殺されることを甘んじて受け入れてくれた坂口に、同時に評されてしまったのだ。そして坂口と自分が求めていたものの微妙な差、自分のそれは「評価」であったが、坂口のそれはもっと純粋な「情」であったこと。自分は間違っていた。そして瞬時に、長谷川の自分へ寄せられた、またそれは別種の情を悟り、咄嗟に抹殺しようとしながら、やはり坂口がそうしたように受け入れたのだと思う。接吻は、京子の自然な気持ちの現れであると同時に、長谷川の自分への情が、自分が坂口にしてしまったような相互理解の伴わないものなのかどうかを長谷川へ問いかけしているように見える。
あなたは私を愛している? それは法律家の職務的な正義感? あなたの私に対する情の正体が何なのか、このキスをしっかり身体に刻んで、何度も何度も思い返してごらん、と。また、同時に何かを評価する、ということは、何のことはない、自分自身がこういう人間だということを告白しているということだ、というところにも帰結してくる。…それはシネスケのコメントもそういうことなわけだけど…。
まあしかしタイトルがまさかここに着地してくるとは思わなかった。驚きです。それにしても小池栄子堂々の主演映画だった。
京子は、自分のひととなりを「あなたの感じたままを話してくれればいい」と再三長谷川弁護士に言っていた。あれは世間の正当な評価にまったく期待しないという、コミュニケーションの断絶なわけだ。長谷川は坂口に「若い女性です」「まじめそうな人です」と説明をしていたが、それを見てて思わず「胸の大きな方です、は?」と思ってしまっていた私です。いや、だってどんな人かって言われて特徴を言うとしたら…ねえ? でも、それって「タレント小池栄子」が、世間一般で評価されてきたことを想像すると、栄子は京子の「闘おう」という気持ちがよくわかっていたのかも知れないな、なんて思った。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。