[コメント] 書を捨てよ町へ出よう(1971/日)
この頃は「反体制であること」がステイタスだった。後の寺山の短編実験映画に比べると思い入ればかりが目立ってクオリティはやけに低いが、その思い入れも圧縮されればときに『田園に死す』等の傑作を生むのだから怖い。しかし彼はやはり舞台の人だったと思う。
私が最初に天井桟敷の舞台を経験したのは「奴婢訓」だった。以降「レミング」までの数年、舞台に通いつめた。
当初は社会啓発の一端をも担っていた同劇団だったが、時代は変わり私が観始めた頃はすっかり毒気も薄くなり、方向性を考えあぐねている時だったのだろう。それでも初心者である私には十分刺激的で魅力的な集団だった。
麻布(渋谷からの転居先)の天井桟敷館に「観客席」のチケットを受取りに行った際、寺山氏をお見かけしたことがあった。自分にとってのアイドルに逢ったような気持ちだったのを覚えている。
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