[コメント] ミスト(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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(そんなジャンルが存在するかは知らないが)「霧系映画」といえばジョン・カーペンターの『ザ・フォッグ』なんかを勝手にイメージしていて、まあ、「SFホラーちっくなパニック映画」だと思って完全に油断して観ていたが、それは完全に間違いだった。
いや、確かに前半部分はそういう趣向もあった。のだが、裏の倉庫で1人の青年が殺されたあたりから、徐々にこの映画の本質が見えてきた。誤解を恐れずにいえば、その本質とは「異常な状況に陥った時にこそ現れる人間の本性をあぶり出し、人と人との決定的なすれ違いを描くこと」だったように思う。
たとえば、序盤で主人公と隣人の黒人弁護士の不仲→和解が描かれはするもののミストが襲ってきてからは、一瞬でその「薄っぺらい友情」は剥ぎ取られるし、本作の肝だったと思われる「父と息子の強固な絆」にしても、極論してしまえば実は「息子さえ守れればあとはどうなっても構わない」という独善的なものだったりする(これがラストの悲劇につながる)。だが、皮肉なことに、地元民/よそ者、宗教信奉者/そうでない者、などなど人の本性が決定的にすれ違っていけばいくほど、映画としての強度がどんどん高まっていく気がしてならない。
化け物には殺させない、という息子との約束を果たすために自分で息子を殺すことを決断する父親の哀しみ。息子を守ろうとする行為がかえって逆の結果を招いてしまったという逆説的な悲劇。さらに。追い討ちをかけるように、序盤にスーパーマーケットで自分たちが見捨てた母親とその子供が救われている姿をラストに映し出すことで、その逆説すら自分が招いたものだったこと(=良心の呵責)を父親の胸に叩きつける・・・。しかし、だとすれば、一体彼らは何と戦い、何のために戦っていたのか・・・?一体彼らはどうすればよかったというのか・・・?その「問いへの答えのなさ」が更に映画の強度を高めるが、映画を見終わっても、自分の中のミストは一層深くなるばかりだ。
さすがに、霧の原因が軍の実験中の事故とわかった時には少し興ざめしてしまったのも事実だが、いずれにしても、近年ではアルフォンソ・キュアロンの『トゥモロー・ワールド』と肩を並べるべき「SF哲学映画」の傑作だと思う。
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