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[コメント] ミスト(2007/米)

SFホラーの体裁をまとっているが、フランク・ダラボンが撮った新たなスティーブン・キング作品は、またしても見事な人間ドラマだった。切迫した状況下で、人間の本質という恐怖が浮かび上がってくる。(2008.10.07.)
Keita

**ネタバレ注意**
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スティーブン・キング原作の映画を『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』と撮ってきているとは言っても、フランク・ダラボンがホラーに挑むとは違和感を拭えないでいた。しかし、映画を観てみると納得だ。SFホラーの体裁を取っているが、主題は完全に人間ドラマに置いている。そして、さすがダラボン。人間描写が実に入念で恐れ入ります。

劇中に印象に残る台詞があった。それは「人間は2人以上いれば殺し合う。だから宗教と政治がある。」というもの。

霧に包まれた屋外に潜む得体の知れない怪物に怯えながら、スーパーマーケットに留まる人々。「子どもが待っている」と最初に外に出て行った若い母親のことは誰も助けない。「触手が…!?」という騒ぎもジョークと捉えられ誰も信じない。狂信的宗教家に縋り、生贄として仲間を殺すことすら厭わない。その狂信的宗教家を銃殺して外部へ生存の可能性をかける主人公たち…。

この映画は、切迫した状況を作り出し、人間がいかに利己的な存在かを浮き立たせる。利己的である人間をまとめるために、民主的に解決を試みる政治的手法や、神に救いを求めるという宗教的手法が、この映画の中の登場人物の間では自然と取られている。このスーパーマーケットは、まさに世界の縮図。だからか、先に挙げた台詞が、すごく映画の主題を言い表しているようで印象に残ったのだ。

霧によって身動きを取れなくなる場所がスーパーマーケットというのも、人間ドラマに焦点を絞る上で効果的だったように感じた。パニック映画の場合、常に伴うのは食料や水の不足、夜の寒さによる凍死の危険性など、生命の危機を感じさせるシチュエーション。だが、スーパーマーケットであればそれらの危機を防ぐマテリアルはほぼ揃っているのだ。しかも大量に。それでいて、市民が日常で使う場所ゆえに銃は個人的に所持しているもの以外ないということも面白い。

要は、スーパーが舞台であることにより、「そもそも助かるのかな」というどうしても気にしてしまう要因が排除されているわけだ。だから、人間描写に集中しやすいし、その人間描写で緊迫感を盛り上げていったというのが見事だ。

実は、露骨な恐怖演出をこの映画はそこまで使っていないように思える。音楽も本当に少なく、目で見てわかる恐ろしい状況というのは、外が霧で視界がなく、そこに何かが潜んでいるということだけ。結果的に、外に出なければ仕掛けてこないのがこの映画の怪物なのだ。

だからこそ、一番恐ろしいのが人間だということが際立つ。その恐ろしい人間の代表格として存在するのが最終的に場を掌握する狂信的宗教家の婦人であり、彼女の恐ろしさ、憎たらしさと言ったらとてつもないほど。それを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンの演技、改めて思うとあれは素晴らしすぎた(観ている最中は「ムカつく」感情だけを先行させられた)。

このように書いていると、驚愕のラストシーンを語らずとも十分価値のある映画であるが、一応ラストシーンにも言及すると、あのラストシーンは完全な絶望ではなくわずかな希望は残したと思える。

理由は、一番最初にスーパーを去った若い母親が子どもと共に軍隊に保護され、生き残っていたから。主人公とのコントラストにより悲惨さが強調されると見る向きももちろんあるが、あの若い母親は誰よりも率直に自らの感情を信じ続けた人物とも捉えられる。彼女が生き残ったということで、壊滅した世界の状況よりも、これだけ嫌な部分を見せ付けられた人間という存在にも、まだ可能性が残っているのではないかと感じさせてくれる。「諦めないで信じ続ける」という…。

仮にあの若い母親が登場しないラストシーンだったとすると、それはもっと悲惨なものとして信じられないほどの後味の悪さを残したのではなかろうか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)おーい粗茶[*]

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