[コメント] さよなら。いつかわかること(2007/米)
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涙せずにはいられない素敵な細部たち。それはたとえば、見るからに冴えない中年のジョン・キューザックが組む円陣。母親と「同期」する妹グレイシー・ベドナルジクの時計のアラーム。妻の訃報が伝えられたのちの無人ショット群。畑を走る自動車が舞い上げる土埃。キューザック兄弟の掴み合いからの抱擁。応えのない妻への電話。真っ暗闇の車内に浮かび上がるキューザックと姉シェラン・オキーフの顔、それを照らす赤の明滅。おもちゃの家。「魔法の庭」到着シーンの空に浮かぶ黄色のアドバルーン。キューザックに手を取られてくるくる回る白いドレスのオキーフ。ベドナルジクのくしゃくしゃの泣き顔。浜辺の赤い空。
ところで、この映画の成功は、旅の目的地を「遊園地」というきわめて映画的な場に決定した時点ですでに約束されていたと云ってもよい。ここで、どうして遊園地が映画的な場であるなどと云えるのかと問われれば、とりあえずアルフレッド・ヒッチコック『見知らぬ乗客』、成瀬巳喜男『おかあさん』、オーソン・ウェルズ『上海から来た女』を思い出してみてください、とでも答えておこう。つまり遊園地は「サスペンス」(宙吊り)の場だということ。この『さよなら。いつかわかること』における遊園地もそう。画面から溢れ出る途方もない幸福感。しかしその底に流れているのは、キューザックのどうしようもない悲しみと娘たちに母親の死を打ち明けることへの恐れであり、オキーフが旅自体に覚えている違和感とそれでも変わらない父親に対する信頼であり、何ひとつ知らないベドナルジクの無邪気さなのだ。三人の笑顔と遊具の運動感がそれらを画面上に刻み込んでいる。映画はサスペンスだ。サスペンスが私を打ちのめす。
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