[コメント] 僕の彼女はサイボーグ(2008/日)
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最初に登場する(つまり人間のほうの)彼女のほうが、表情もコスチュームもかわいいと思う。だからといって、この話は「僕の彼女は、(それでも)サイボーグ(のほうだ)」ってとこに落すべきなんではないのか?
主人公を身を挺して守ったサイボーグ彼女を抱きかかえ、彼女の口からは聞く事ができなかったけど、まぎれもない「愛」を感じたばかりの主人公の目の前に突然現われた人間彼女。彼女こそ、サイボーグ彼女の記憶を受け継いだ正当な後継者であるのだから、安心して彼女を受け入れてもいいのだよ、それはサイボーグ彼女を見捨てることにはならない、これから2人でまた新しい生活を始めなさい、って言ってるのはわかる。けど、人間彼女がサイボーグ彼女の後継者であるという話に信憑性を感じられる観客はほとんどいないのではないだろうか?と思う。そこに説得力をもたせられなければ、「僕の彼女はサイボーグ」という命題が成り立たない。うまく出来ないのだったら最後に人間彼女を出すっていうオチをあきらめたほうがいいと思う。
それは、博物館でたまたま自分に似ている顔のロボットにシンパシーを抱いたJKが、やがて彼女と彼の物語を知ることで、その2人の心の通い合いに圧倒され、自らの人生(JKの彼女にだってそれまでの人生のかけがえのない思い出があろう)と引き換えにサイボーグ彼女の記憶と交換するに至るというのが、駈け足の説明だけでドラマとして何にも描かれていないからだ。要するに、あんた誰?っていうのを、「彼女はそもそも主人公の初恋の相手であって、その上サイボーグ彼女との思い出さえ有しているどこからも文句のつけようのない由緒正しい彼女です」っていうふうに説明で無理やりねじ伏せているような印象を与えてしまっているという演出ミスなんだと思う。
JK彼女の側に、僕とサイボーグ彼女とのドラマと対等の質量のドラマが必要で、実はファーストシークエンスっていうのがそれだと思うんだが、それならそのシークエンスは、2回目は少なくとも彼女視点で描かれるべきだろう。サイボーグと人間の伝説の恋愛に憧れて、多分周囲の反対を押し切って彼に会いにくる、そのドキドキしたトキメキを描いたら多少は印象が違ってくるのではないか? そうすれば、僕と人間彼女の最初の出会いのシーンの単純繰り返しによるダラダラ感の回避も期待できるし。その辺のバランスの問題なんじゃないかな? バランス感覚は悪い監督ですね。学校で彼女が人質を解放した場面、取材陣が犯人を取り囲むシーンを延々描写してるんだけど、まったく意図がわからない。
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