[コメント] 解散式(1967/日)
これが深作初期に傑作であることに異論はない。
異論はないのだが、敢えて不満を言わせて貰えば、ここには、『仁義なき戦い』や『蒲田行進曲』や『魔界転生』のような、突き抜ける、華々しい「軽快さ」が、未だない。
本作で鶴田が演じた沢木=「最期の渡世人」は、仁侠映画が強請する「英雄賛美」と、それに反発する自己の美意識の唯一の緩衝地点として、選びに選び抜かれた苦肉の策であり、素材であった。だから深作としても、慎重に、神経質に成らざるを得なかったのだろう。だから興味深いシーンも多い反面、やや頭デッカチの、爆発力に欠ける作品となってしまった。
鶴田浩二は、高倉健以上に任侠道を体現する役者であり、その意味でこの配役は全く以って正しい。実際、哀愁の漂ういい芝居を見せてくれている。
しかし、捨てなければならない。深作は鶴田を捨てなければならない。鶴田の哀愁を捨てなければならない。ヒロイズムを放棄せねばならない。
深作が鶴田と最期に組んだ作品は1971年の『博徒外人部隊』。グラサンに黒スーツ姿の鶴田が銃を乱射する、それはそれで面白い作品だった。ラストもまぁ爆発力、と云えなくもない。しかし、どこかに違和感が残った。とても無理してる感じがした。
その次の作品から深作は文太を主役に起用することになる。その一作目『現代やくざ 人斬り与太』は、そのアナーキーさが「軽快さ」にまでまだ昇華していなかった。続く『人斬り与太 狂犬三兄弟』はアナーキーでダイナミックだがマニアック過ぎた。
そして『仁義なき戦い』が生まれた。人斬り与太=菅原文太の破天荒なエネルギーを、本作の構図、移ろい行く時代に取り残された最期のカウボーイならぬ最期の渡世人、に当て嵌めた、日本エンターテイメント映画の金字塔である。
そう、この映画『解散式』は『仁義なき戦い』のカタワレなのである。しかし、その割に余り見られていない。殆ど無視されているといってもいい。東映仁侠映画の研究本の出版から、深作の急逝、千石三百人劇場での一大回顧上映などを経て、もう一方のカタワレたる『人斬り与太』シリーズ全2作は急速にその評価を高めている。それに対して本作の扱われ方は余りにも不憫である。賛否は問わない。もっと多くの深作ファンに見てもらいたい。そして彼の若き日の苦悩を、垣間見てもらいたい。
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