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[コメント] 水の中のつぼみ(2007/仏)

水に濡れて光る肢体。台詞のみならず、息遣いさえ捉える録音。間接性と直接性が微妙に交錯しあう性。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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正直、シンクロナイズド・スイミングは、水着の女性がわんさか出てくる割には男の欲情をそそらない競技だ。それは、あの鼻抓みをつけて人工的な笑顔を向け、痙攣的な動きを繰り返し、集団で幾何学的なポーズを決めていく、という要素がどれも、女性の姿態の艶かしさを奪うからだろう。そんな競技に、女性側からの同性愛的な眼差しによって艶かしさを見出していくという発見性が、この映画の見所の一つ。

少女らの肌の匂いが立ちこめていそうなロッカー・ルーム。競技シーンでは、シンクロそのものよりも、四肢が叩きつけられて水飛沫を上げる水面の激しさや、水面から出没する表情と脚へのフェティッシュな視線を感じさせるフレーミングが印象的。練習を見学に来たマリー(ポーリーヌ・アキュアール)が、フロリアーヌ(アデル・ヘネル)に促されて水中に潜るシーンでの、本来は他者の視線に晒されない水面下でスイマーらが行なう奇妙な動作の、単純にエロティシズムとも呼び難い、不思議な艶かしさ。また、「身体検査」という声がかかって何をするのかと思ったら、脇の無駄毛チェックというフェティッシュさ。剃り残しを指摘された少女が「時間が無くて」と言いわけした際の「夫にもそう言いわけするの?」というコーチの言葉が、性的な意味合いを更に補強する。

シンクロは、セクシャルな眼差しから捉えられ続ける。それ故に、ラスト・カットで服のままプールに浮かぶマリーとアンヌ(ルイーズ・ブラシェール)によるシンクロ風のポーズは、一抹の解放感を感じさせる。マリーは、フロリアーヌとベッドに横になりながら、「殆どの死者は、天井を目に焼きつけて死んでいったんでしょうね」と呟いていたが、ラスト・カットでは、背は水面に浮かばせて、視線の先には、限界の無い夜空を見ていたに違いない。

「頼みがあるの」とフロリアーヌはマリーに、「処女だと知られたくないから」と、男の代わりに処女を破ることを頼んでいたが、ラスト・シーンではマリーが「頼みがあるの」と、フロリアーヌに告げる。口づけの後、「簡単でしょ」とうそぶくフロリアーヌ。だが、マリーが頼みに応えてあげたあの後で、フロリアーヌはやはり直前になって男を拒んだのだった。そのことを、代わりのように男と寝たアンヌの口から聞いていたマリー。マリーがフロリアーヌに対して行なう同性愛的な振る舞いは、「沢山の男と寝ている女」の役割を、女達の中で自ら演じさえするフロリアーヌの異性愛の媒介として機能させられているのだが、その実、フロリアーヌは男と一度も寝てはいないのだ。

こうした、誰かとのセックスの代わりに行われるセックス、或る関係の代理としての関係性は、フロリアーヌが獲ったメダルがマリーの首にかけられ、マリーがアンヌの家を訪ねるシーンでは、玄関のマットの下にメダルが隠されるシークェンスや、アンヌが盗んだ首飾りが憧れの男子の許に渡り、彼の手からフロリアーヌに渡され、彼女によってマリーの眼前に再登場する、という奇妙な経路などでも表されている。

ラスト・シーンのパーティで、ヴァンプ性と表裏一体の処女性を誇示するかのように一人で踊り続けるフロリアーヌ。その姿は、一度目のパーティ・シーンでアンヌが一人踊っていた、滑稽で哀しい姿とはまるで違う。空虚な乱痴気騒ぎをしている男子たち。フロリアーヌの口づけを受けたマリーは、プールの水で口を洗う。そのキスは、男との性的関係の代理、予行練習として為されたものであり、フロリアーヌからマリーへの愛の証しではない。それ故か、未だ汚れていない筈の全身までをもプールに浸けるマリー。男を拒絶したフロリアーヌの代わりのように男に抱かれたアンヌもまた、共にプールに身を沈める。対照的な二人だが、フロリアーヌの潔癖な媚態に翻弄された点では、同じ運命を共にしてもいたのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Santa Monica セント[*]

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