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[コメント] シークレット・サンシャイン(2007/韓国)

脚本と演出は傑作級だが、「俗物」を遠ざけるヒロイン自身の俗物性が、作品の挑戦するテーマのハードルを下げているようにも。つまり、このヒロインが制作者側に愛されているようには見えず、それこそ神のように頭上から観察されているように見えるのだ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、シネ母子は車の故障で立ち往生しているが、これは、シネの亡夫が交通事故で死んだ事を彼女がいまだ引きずっている事の暗喩だろう。このシーンで、息子が車の中から青空を見上げているショットがあるが、これと同じショットが、この子の遺体が発見されるシーンでの、車内のシネによって反復されている。シネが息子にかけた「外に出ない?」という台詞も、彼女に対する刑事の台詞として使われている。

シネは最初からどこか自分を特別な存在として見、また他人からもそう見られたいという意識が垣間見える。誘拐事件の引き金となった、金も無いのに土地を買う素振りを見せた行為がそうであるし、引越しの挨拶で初対面した洋服屋の女主人に、インテリアを変えた方がいいと提案する事、息子の雄弁会での発表に大はしゃぎする事、息子の髪を一部金髪にしている事などもそうだ。そんなシネがキムらの前で弾きそこねる、リストの“ため息”は、彼女が息子の遺体と対面する場面で、重苦しい弦の響きで奏でられる。自分の子も含めて、特別であろうとした女が、それに挫折していく。誘拐犯との面会シーンで明らかになるように、入信後の彼女もまた、許す者として、相手の優位に立とうとしていたのだ。

劇中、シネが空(=神)を見上げる場面が何度かあり、彼女の為に徹夜の祈りが捧げられるシーンでも、それが行なわれている部屋を‘見上げ’たシネは、窓に石を投げる。彼女がいくらあがこうと、絶対的な優位にある存在としての神。初めて信徒の集会に顔を出した彼女がむせび泣くシーンも、祈りの厳かな静けさを打ち破るノイズのような声を上げていた。最初、この泣き声が彼女のものと分からない事や、信徒の席からの視点で撮られた説教師の傍で扇風機が回っているという卑近さなど、ワンショットの演出力が光る。そして、犯人との面会後にシネがミミズを見て大泣きするシーンから感じられるのは、結局この最初の号泣シーンでも、神に泣いたというよりは、泣くきっかけや理由が欲しかっただけなのではないかという事だ。

ラスト、退院したシネが散髪をする件がいい。教会の教えでは肉体の生よりも魂に価値が置かれていたが、シネの魂が癒えない間も、髪は伸び続けていたという事。髪が伸びた事を受け入れる事は、シネの意思に関りなく続いていく、現実の人生の時間性を受け入れる事でもある。それはまた、最初、髪を切ろうとして寄った散髪屋で、誘拐犯の娘が働いていた事もまたそうだ。シネの知らない所で現実は動いていく。シネは自分で髪を切る為に、キムの手を借りて鏡を見る。他者の助力によって、自分を見つめる。断ち切られた髪は、断ち切られた時間でもある。それが地面に落ち、風に吹かれる様を、ただ映し続けるラストカット。その地面を照らす陽光は、そこに神が宿っていようといなかろうと、その厳粛さと静けさと優しさは、確かに伝わってくる。

現代のヨブ記のようなプロットと、最後にヒロインが、神への依存心を捨てたとも、真に神の光を得たともとれる結末の繊細さなど、作品の質は高い。だが、最初からどこか人間的な欠落が感じられるシネが、そのややお高くとまった態度を最後には解消する方向へ向かう、という、全篇を通して描かれた変化のあまりの些細さには、テーマ的に、かなり低めに設定されたハードルを越える事しかしていないように見え、どうも高評価する事が躊躇われる。

(評価:★3)

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