[コメント] ジャージの二人(2008/日)
良心的に解釈すれば、ある種の自然体を謳歌する父(家族の軸)の系譜に連なる子供たちや、さらにそこに連なる外部(嫁)の係わりの不確かさの話しなのだろう。その点で鮎川誠の存在は充分機能しているのだが全体に統制が効いていないので結果何も起きない。
小津の『父ありき』を思わせる父と息子の同一アクションの反復や、携帯のアンテナの形で写真に納まる家族、さらに「和小」までが、鮎川誠に連なる堺雅人の「まわりとの関係のあり方」という話しの軸に、なんら映画的に絡むことなくただ無意味に消費されている。
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