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[コメント] 華麗なるギャツビー(1974/米)

緑の芝生、白い邸宅、黄色いスポーツカー、色とりどりのシャツ、暗い海峡に点滅する光。「バブル」の風景を描いた映画としては、フェリーニの『甘い生活』と並ぶ出来。音楽も良い―

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この映画のクライマックスは、寝取られ男の自動車整備工が妻を「お前は罪を犯している」となじる場面だろう、と思う。勿論、妻はそれを認めない。彼女だけではなく、他の登場人物たちの誰も罪の意識など持ってはいない。彼らは自由主義の新世界・アメリカの住民なのだ。「罪」などという禍々しい言葉とは自分は無縁だと思い込むほどには、彼らは傲慢である。

けれども、世界史上にも幾度とはない未曾有の繁栄の中で、彼らは不安と焦燥に取り付かれている。何か大きな間違いが犯されている、という感覚がそこにはある。連夜の馬鹿騒ぎの非現実的なほどの美しさ。人々の神経症的なカラはしゃぎ。そこには大惨事の予感のようなものが漂っている。ギャツビーという男はそういう不吉さを体現したような存在だ。彼には何か不可解な、たんに闇社会の人間であるというだけではない不気味さ、生きている人間ではないような嘘くささがある。

彼の死後、彼が名前を変え、過去を捨てて、偽造されたアイデンティティーを生きていた、ということが判明する。彼は強靭な意志の力で「ジェイ・ギャツビー」を演じ続けたのだが、彼自身が嘘くささを感じずにはいられなかった。そして、デイジーの愛を得ることで本物の「ジェイ・ギャツビー」になれると夢想するようになる。あるいは彼は、神聖な何かに彼の傲慢さの許しを乞いたかったのかもしれない。哀れな彼にとって神聖なものといえば、かつての恋人しかなかったのだろう。勿論、彼は悲喜劇的に現実離れしていた。デイジーはただの愚かな人妻にすぎず、ギャツビーは破滅するしかない。1929年の大暴落が到来するより以前、崩壊は人の心の中に静かに訪れていたのだ。

これは、資本主義の罪と罰を、そして、その終末を描いた映画だ。おそらくアメリカは、その寿命の尽きる時まで、バブルの夢を見ては崩壊することを永遠に繰り返すのだろう。そして、今や私たちも、この壊れやすい泡沫の上の世界に住んでいることを、この映画で描かれた光景がバブル期の日本そっくりであることを見て、いやでも認識せざるを得ない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ジェリー[*]

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