[コメント] チップス先生さようなら(1939/米)
しかし、若い場面は僅少で、すぐに中年のシーンになる。本作はこれら時間経過の表現が顕著だが、かなり技巧的な映画なのだが、サム・ウッドはソツなくまとめていると思う。時の流れの見せ方で云うと、雪合戦や、ラグビーやクリケットといった運動の場面を繋いで表現したり、生徒達が、先生に自分の名前を名乗りながら通っていく場面を年代別にディゾルブで繋いだりして見せる。
節目のエピソードの演出、ということでは、何と云っても、グリア・ガーソンのからんだシーンが素晴らしい。チップスが同僚のドイツ人教師・ポール・ヘンリードとチロルからウィーンへ旅行するシーケンス。ガーソンが、アルプスの霧の山上で登場するカットは息をのむ美しさ、眩いばかりの笑顔なのだ。あるいは、下山後、すぐにチップスとは別れてしまうが、ドナウ川の客船で再会する直前のシーン。ヘンリードとドーナットが、二人で「ドナウは限られた人だけ青く見える」という会話をしている画面から、舷側を左に横移動し、さらに上昇すると、上の甲板にガーソンをとらえる、この長回しの移動カットも瞠目する。そして、ウィーン会議でも使われた、と云われるダンス場でのダンスシーン。こゝはかなりゴージャスな演出なのだ。また、本作のガーソンは、ほとんどのカットが笑顔であり、この点も素晴らしい。
さて、終盤になると、教え子が戦争に取られて戦死のニュースが入って来るようになる。あるいは、敵国の兵士になったポール・ヘンリードの死を悼むチップスが描かれ、生徒達が怪訝に思う、といったシーンも出て来、明らかな反戦メッセージが伝わって来る。戦争終結後、エンディング近くの、コリーという生徒、何代にもわたって(その父や祖父も)チップスの教え子であった生徒、とのやりとりの中で、タイトルの科白「チップス先生さようなら」がようやく出て来る。若干取ってつけたような感覚も持つのだが、こゝを含めて、本作の締めの演出には、満足感というか完全燃焼感がある。
#ジェームズ・ヒルトンの原作(翻訳本)は既読。ピーター・オトゥール版の映画を最初に見、すぐに原作を読んだのは、およそ半世紀前か。
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