[コメント] イーグル・アイ(2008/米)
マクガフィンとして処理されるべき要素がむしろテーマの位置を占めること。究極的に発達したコンピュータ(・ネットワーク)においてはHAL9000的狂気よりも過剰な正気(正常な動作)が人間の脅威となると喝破していること。仮にそれらを「現代性」と呼んでみたところでこの映画のつまらなさは補償されない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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現代の映画は創意でも努力でもなく、もっぱら予算と労働量によって成り立つようだ。大局的にはMTV登場以降の流れと云ってよいのだろうか、一瞬たりとも固定されることのないカメラと鳴り止まぬ音、細かすぎるカッティング。もはやこの画面に「アクション」は存在しない(ベルト・コンベアのシーンはちょっとだけよい。ほんのちょっとだけ)。
携帯電話の氾濫もやはり気になる。「映画」はいまだに一台の携帯電話をどう扱うべきなのかさえも知らないのだから。いや、だからこそ氾濫させてしまおう、というのがトレンドとなっているのかもしれない。だがそれではあまりに自堕落ではないか。
また、全篇が既視感に覆われたこの映画に対しては、その引用/参照元を列挙してみせたところでそれは徒労としかならないだろう(HAL9000を下敷きとしたARIAを扱う黒人少佐の名が「ボウマン」であるとか、それがいったいなんだと云うのか)。しかし、ここまで堂々とヒッチコックをやる厚顔を誇っているのであれば、せめて中盤からシャイア・ラブーフとミシェル・モナハンのロマンスを醸成していくぐらいの余裕を持ってしかるべきではなかったか。その余裕のなさは「笑い」のなさにもつながっている。このていたらくではビリー・ボブ・ソーントンの無駄遣いという謗りは免れないし、ラストシーンについても支持を得られないだろう。
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