[コメント] 青い鳥(2008/日)
いささか芝居じみた村内(阿部寛)の所作や、写真や文庫本の使い方のあざとさが鼻につくのだが、責任と「向き合う」ことの緊張を持続させる統制された語り口はみごと。いじめ問題に仮託された正論の重さに、どうも制作者自身が気づいていないようなふしがある。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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たとえ無知や無理解に端を発したとしても、加害という事実を忘れることは卑怯であるという命題は、いじめ問題を超越して、すべての事象(例えば戦争)の責任のとり方、とらせ方としてシビアであるが正論でもある。
そして今の社会、大人から子供まで(いや、大人がそうだからこそ子供までもが)「反省」の美辞のもと、その正論から巧みに身をかわし保身に汲々としているのも事実である。
保身を旨とする者の防衛心は、簡単にヒステリックな攻撃へと転じる。他者を攻撃し続けることでしから得られない不安定な安堵感。学校どころじゃない、政治から文化までメディアの偽善的攻撃に右往左往する一億総保身社会。石川啄木では何も解決しない。
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