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[コメント] PARIS(2008/仏)

不思議なのは、こういう作品に出てくる≪市井の人々≫に限って、まったく映画を観ない。パリにも映画館はあるだろうに。
G31

 映画で起きるような事は何も起きない圧倒的に平凡な人生においては、誰にでも平等に確実に訪れる「死」のみが唯一にして最大のイベントになりうる。他人より早く死の神に見初められた者は、ある種の選ばれし階級であり特権を手にしたも同じ。その瞬間から人に説教する資格を得るのだ、「人生を楽しめ。今を謳歌しろ。健康で、元気でいられるうちに!」と。

 ・・・悪くないアプローチではある(実際こういう映画、近頃多い)。だが問われるべきは、死を媒介にして生の素晴らしさを描くことの矛盾、ないし傲慢さに、どこまで自覚的であるか、だと思う。死は死であり、生は生だ。生の素晴らしさは、生の中にのみ存在する。台詞としては確かに「死は誰にでも訪れる、ありふれたものなんだ」とあったが、制作サイドにとって本当にそうであったなら、生の素晴らしさを描くのに、死を下敷にしたかどうか。例えばイラクやパレスチナで、このような映画が撮られるか? 結局のところこの映画は死を特別視し、逆説的に、死がいかにわれわれの日常から遠ざけられたものであるかを露呈してしまっている。実際には、この『PARIS』の街でも毎日少なくとも何百人かは亡くなっているはずである。それらは見事に隠蔽されている、と言うほかない。

 私が言いたいのはこうだ。この映画の登場人物はそれぞれに、行きずりの男女関係に身を委ねたり、何十と歳の離れた異性に胸をときめかせたり、パーティを開いて飲んで踊ったり、故郷を発って都会(それも異国の)を目指したりしている。それはそれでいい。そうしたい人は、おおいにそうすればいい。だが、そうすることが人生の素晴らしさであり、そうしない人生は惨めな人生だと、二分して描いたとしたら、それは間違いだ。この作品は、平凡な人生そのものの美しさを描けていない。だとしたら、本当の意味で人生応援映画と言うには、一歩足りない、ことになる。

75/100 (09/05/30見)

※人が映画を観てるところって、絵にならないのは確かだが。

(評価:★3)

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