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[コメント] フロスト×ニクソン(2008/米)

鑑賞中、頭に血が上ってとても疲れた。それは主演二人の熱演、舌戦に興奮したからではない。制作者の手法を不可解に感じ、作家としての志の低さに怒りを覚えたからである。この作品のロン・ハワードは王道ではなく邪道を歩んでいるように見えた。
Lostie

随所で見られる視線演出が分かりやす過ぎることや、手持ちカメラを揺らし過ぎて臨場感や緊張感を生み出そうとする意図が見え過ぎることはまだ我慢できる。しかし、チーム構成員やニクソンの腹心の回想/証言を挿入することによって映画をスムーズに進行させようとする、そのやり方には非常に腹が立った。

ドキュメンタリーや「奇跡体験! アンビリバボー」のようなバラエティ番組ではよく見る手法である。それ自体は否定しない。しかし、それは証言者が「本人」であり、且つ再現ドラマを「本人ではない」人物が演じる場合のみ成立するものだと思う。

Aという人物がいたとする。この『フロスト×ニクソン』という映画では、本筋のドラマ・パートのAと、証言パートのAが全く同じ人物なのである。よく考えてみてほしい。・・・これ、違和感覚えないか? そもそも、どういう状況で誰に何のために証言しているの? もし我々観客にダイレクトに話しかけている(解説している)のなら、それこそ作家としての志が低いぞ。

例えば「タイガー・ウッズ伝説」みたいな番組や映画があったとして、再現ドラマのウッズ役をウッズに扮したモノマネ芸人が演じ、証言者としてのウッズも同じモノマネ芸人が演じていたとしたらどうする。ひくか笑うかしか出来ないだろう。悪ふざけの類である。この映画ではその悪ふざけをさも当然のように、堂々とやっているのである(証言パートにフロストやニクソンといった「主役」が参加していないので、気にならない人もいるのかもしれないが)。

モノローグやナレーションなども本当に巧い人間が使いこなせば、例えば様式美のような「説明」以上のものを生み出せると思っているし、実際そういう映画も観てきた。ただそれを「近道」的に安易に使ってはいけない。

とにもかくにも根本的な作り方が性に合わず、しんどい2時間であった。

(評価:★2)

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