[コメント] 西鶴一代女(1952/日)
溝口の成功作はすべて「もはや笑うしかない」地平に達しているのだが、それはユーモアではなくもっぱら彼のサディズムに拠る(溝口にユーモアはない!)。そこが本質的に喜劇作家である小津や(実は)鋭いギャグの感覚を持った成瀬とは違う、溝口の凄さである。淫売! 売女! 化け猫!
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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むろん大傑作。回想形式を用いつつこれほど緊張感を持続させた映画もまた稀有だ。
溝口がキャラクタを突き放すその冷徹さはとりわけロングテイク中で俯瞰となるカメラにあらわとなり、田中絹代が殿様になった息子に再会し追跡するシーンのそれなんてもう最高(田中のアクションも最高!)なのだが、何もロングテイクだけではなく、たとえば柳永二郎が座敷に金をばら撒くシーンで唐突に挿入される俯瞰ショットはカッティングの鋭さも相俟って、その衝撃はヒッチコック『鳥』の垂直俯瞰に次ぐほど。
また、自覚的に音楽に斬新さを求める溝口の姿勢についてはもっと広く評価されるべきだろう。斎藤一郎が凄い、と云うだけで済まされるものではない(そして行き着いたところが黛敏郎の『赤線地帯』というわけです)。
しかしながら、シネマトグラフィの美という点では『近松物語』などの世界遺産よりは半歩下がるか、というのが正直なところでもある。まあ、そう思うのは私が『近松物語』主義者だからかもしれませんが。
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