コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 湖のほとりで(2007/伊)

湖の畔というシチュエーションは、作品の雰囲気を覆うような大きな要素としては働いていないが、湖が連想させる静謐さと透明感は全篇を充たしている。だが「ミスマッチの妙」と言うには違和感が強すぎる音楽が観客の耳を悩ます。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







美しい自然とは対照的な、住民たちの複雑で暗い人間関係が捜査の過程で浮かび上がること。全員が、容疑者としての疑わしさの濃さを等しくすること。住民たちのアイドル的存在であった若い女性が、水辺で死体として発見されること。彼女が遺した日記に綴られた悩み。父親による溺愛。作風が全く異なるとはいえ、ここまでされては『ツインピークス』との類似性を意識せずにはいられない。

とはいえ、『ツインピークス』のような不可思議さや不条理性など微塵も見せない本作で唯一、そのリアリズムからはみ出し気味に思えるのは、脳に障碍を抱えた人物が合計四人も登場するという、偶然の一致にしては出来すぎな筋書き。

その中でもアンジェロは、その名の通り天使的な存在ということなのか、重要な人物でありながらも写真でしか登場しない。この少年が唯一人心を許していたらしい、ベビーシッターであったアンナ。彼女が湖の畔の死体となるわけだが、アンナも人知れず脳に腫瘍を患っており、余命幾ばくも無かった。それ故にアンナは、恰も、見殺しにされたアンジェロの代理のように、彼の父・カナーリに対し、その罪を想起させようとし、結果、殺害されることになる。皮肉なのは、放っておけばアンナは遠からず自然に死んだ筈だったこと。カナーリは本来ならば、アンジェロに関しては保護責任者遺棄致死に当たるのだろうか。唯一の目撃者アンナは、自らの残り少ない余命を使って、アンジェロの身に自らを重ねるように、カナーリの罪を実証する代理人、エンジェルのエージェントとなったわけだ。

一方、冒頭シークェンスでは幼女誘拐犯かと思えたマリオは、知能に問題を抱えているようだが、そんな息子を決して愛している様子ではない父親も、自分の体が不自由であることも相俟ってか、諦めによって事態を受け入れている。父と対照的に、マリオは屈強そうな体をしている。彼自身を思わせる巨体の兎を可愛がり、父親がその兎を殺して食糧にしないよう警戒している。

そして、事件を捜査する刑事、サンツィオ。彼の妻は認知症らしき症状を見せ、夫を弟と誤認し、他の男性患者と愛し合う関係になっているようだ。更には、娘のことも忘却している。苦悩する者、不幸に見舞われる者が多くを占める本作にあって、最も幸福そうなのは、家族との絆を完全に失った、この妻だ。ラストシーンでは、サンツィオは娘に初めて母と対面させるのだが、妻は、彼女に笑顔を向ける娘を見ても娘と気づかず、他人に対するような笑顔を返す。サンツィオは娘に「見たか」と呟く。お前の母親の症状がここまで進行しているのを見たか、という意味かと思わせるが、「微笑んでいたよ」と彼は言う。サンツィオは、娘を子ども扱いし、いつまでも保護者ぶるせいで娘から反撥されていたのだが、最後には、「家族」という関係が断ち切られていようとも、妻が微笑んでいた、という事実に一抹の喜びを見出そうとしている。この諦念が、アンナの父の異様な溺愛ぶりに娘が拒絶反応を示すホームビデオを見たことなどによるものなのかは、観客には窺い知れぬところだが。

一見すると、何の意味も無く通り過ぎたように見える、冒頭の誘拐疑惑シークェンス。だが、幼い娘の身を案じることの切実さと、そこに、脳に障碍のある男の存在が否応無しに影を投げかけていることなど、作品を貫く軸が示されたシークェンスだと言える。見殺しにされるアンジェロの姿をアンナが窓の向こうから目撃していた、という真相が明かされる前に、「窓の外から覗き込む」ショットが、サンツィオが妻の病気の辛さを娘と分かち合うシーンなどで予め挿入されていたことにも、それなりに周到ではある演出を見てとることが出来る。

尤も、この音楽センスの悪さにはちょっと驚かされてしまうのだが。音楽自体の良し悪しではなく、画と齟齬があるのだ。その、歪な音響の塊を点在させたり、ポップな音を淡々としたリズムに乗せて配置していく音のデザインは、画の静謐さを損なう箇所が幾つかあり、意味も無く変化球を投げようとする演出家の野心が覗いて見えた気がして不快。或いは、作曲者に癖を抑えるよう要求できなかった手落ちなのか。

ところで、僕からすればカナーリも不幸な人間の一人だと思えるのだが、実際、この映画は、彼を擁護するわけでもないが糾弾するわけでもない。サンツィオは、息子という重圧に耐え切れなくなったカナーリの罪に加え、マリオの父の苦渋の諦念も、共感するわけではないにしても、「家族の脳の障害」という共通項により、その身に沁みて感じているように見える。「そこに棲む者に見られたら命を奪われる」という伝説を有する湖は、他人の罪と苦悩に自身のそれを見出してしまうという物語の構造を暗示しているのかもしれない。だが、その湖の存在感が充分にショットとして得られていたかは疑問が残るが。

「脳の障碍」という共通項で、それぞれに異なる症状を十把一絡げにしてしまっているような違和感は、やはり残る。脳に拘ったのは、人それぞれの不幸が微かな共感で繋がり合う様を描く為の暗喩なのだ、と作り手は弁解することも出来るのだろうが、そのことを踏まえても、悪い意味で虚構的(恣意的な作り話)な人工感は拭えない。サンツィオ自身も原因不明の皮膚炎に罹っていて、ささやかながらも病の不安をその身に有している設定も、有効に機能しておらず、むしろ小賢しく思えてしまう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)G31[*] 3819695[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。