[コメント] 七年目の浮気(1955/米)
これはマリリン・モンローの映画と認識されがちだが実はトム・イーウェルを見るための映画なのだ。 完璧なまでに男性=イーウェルの視点から描かれていることからも分る。一方名無し女マリリンは実際どのような女なのかが分らない、性格描写のない記号的な存在として扱われている。更にこれは男の《非現実的》な妄想が大半を占め、妄想が直接的に映像化可視化され、それによりある時には笑いを誘いユーモアを味わうことの出来るれっきとしたコメディー映画である。コメディー映画ほど非現実的なものはない。たとえSF映画であろうと非現実的な要素は主に舞台設定(背景や主人公など)に留まっており、脚本的な前後関係の秩序は守られている。ところがコメディー映画は前後関係が怪しくなってきたら場面を切り替えればすむ。(つまり「その後どうするんだよ」なんて突っ込めるようなものはコメディー的ともいえる。)だから人生はコメディー映画には成り得ない。本作品『七年目の浮気』ではその場面転換を《妄想/現実》を巧みに交互を織り上げることにより行っている。
でも私はいつもマリリン・モンローに殆ど魅力を感じないから主人公のようにはならんなあ。スカートのシーンは当時のハリウッド映画の規則に対しての監督の最大限の抵抗でしょう。アメリカ映画はポルノ作品ではない限り1960年代の後半まで絶対に女性の裸体の「直接的」な描写はご法度だったらしい。これを知っていると余計な期待をせずに作品に接することが出来ると思います⇒男性。
最後にビリー・ワイルダー監督のご冥福をお祈りいたします。彼の作品のアべレージの高さはシネスケの点数を見ても分ります。 02,3,30
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