[コメント] 炎上(1958/日)
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国宝である金閣寺に放火した実在の青年のことを三島由紀夫が「金閣寺」と言う題で小説化。その映画化作品。そのままの題は使えなかったらしく、映画の題は『炎上』となり、寺の名前も驟閣寺になっている。
本作は元の小説自体が凄まじかった。宗教的に言って、こういう強い思いこみを持った人間こそが、新しい宗教を作ったり、その宗教を栄えさせる事が出来るんだろうけど、そのゆがみっぷりが堂に入ってる。坊さんが陥る一種のフェティシズムで、現代で言えばストーカーのようなものだと思えるが、それを描けたのも三島だからこそだった。三島の書く作品にはフェティの描写が多いけど、これはその極めつけだ。
エリートと呼ばれる人間ほど挫折には弱いと言うが、それは外面から見ているだけのことであり、そのような人間の内面の葛藤がどれほど重いのかを考える必要がある。彼の思いとは、自分にとって最も高貴なもの、美しいものを道連れにしなければならないものだったのだから。まさにこれは三島由紀夫という人物の内面描写に他ならない。
これほど精神に入り込むような主人公役を市川雷蔵という稀代の名優に設定することで、一種奇怪じみた凄まじい作品に仕上がった。市川雷蔵という人物の役者魂がはっきりと伝わってくる。
市川は普段は全然目立たない人だったという。スターであるにも拘わらず、人混みに紛れてしまうと、全然所在が分からなくなると言うほど、実生活は地味だったそうだが、ひとたびカメラの前に立つと、信じられないオーラを漂わせる人物だったそうだ。そんな彼が望んで主役になったと言うだけに、この作品の力の入れ方は半端なものじゃなかったようだ。本作はその市川雷蔵と言う人物の両面性を巧く引き出していた。実際、最初の内はとてもこれが後で眠狂四郎になるなど、知っていてさえ違和感を覚えるほどだったのに、後半になって狂気じみてくれば来るほど、ゾクゾクするほどの存在感へと変わっていく。改めて考えてみると、やっぱり凄いキャラクターだったんだなあ、としみじみ。
人前で巧く喋れないが故に、人前で話すことを極端に恐れ、自分に自信が持てない吾市。だが、驟閣寺に対する想いはあまりにも深く、それが妄執となってしまっている。更にかつて自分と父を裏切った母がそこに絡んでくる。行き場のない思いが充満していく…非常に抑え気味の表情であるにもかかわらず、それをしっかり描写出来たのは、市川崑監督の力量を改めて感じさせられる。監督の力量とキャラクターのパワーが見事に合致した作品だと言えよう。
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