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[コメント] リミッツ・オブ・コントロール(2009/スペイン=米=日)

「自分こそ偉大だと思っている男を殺せ」。この禅問答のような依頼にどう落とし前をつけるのかと思いきや――、いや、これではジャームッシュを殺そうとする観客が出ないか些か心配だよ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主人公が美術館で、キュビズム風に描かれたギターの絵を鑑賞した後に、ギターを持った男とカフェで会い、裸の女の絵を観た後には裸の女が登場、カフェでマッチ箱を交換しあった女とそっくりの女に魔の手が迫る絵柄の映画ポスターを街で見かけ、フラメンコ・シーンでは「自分こそ偉大と思っている男を殺せ」という依頼と同じ詞が唄われる、等の、主人公が絵画や映画や音楽の中を遍歴していくような入れ子構造。主人公が、マッチ箱からとり出した紙片を毎度、エスプレッソと共に喉に流し込んでしまう行為もまた、作品の入れ子構造の一端に見えなくもない。

絵画、音楽、映画、科学、ボヘミアン、といったものを敵視し、他人をコントロールしようとしているらしい「アメリカ人」の抹殺という結末。カツラを髑髏に被せるビル・マーレイ。世を欺くこの男は元から死体である、という暗示なのか。それゆえ、主人公が彼を殺すのも、生々しい殺しというよりは、「想像力を使った」といってアジトに易々と侵入した主人公が、ギターの弦で殺すという二点も含め、ひとつの暗喩なのだろう。非常に分かりやすい、安易な暗喩。文化系男子としての青臭いフリーダム思想を、ジャームッシュの映画なんかを観る人になら言わずもがな、といった調子であまりにストレートに打ち出す結末。エンドロールの最後に「NO LIMITS NO CONTROL」などと、「NO MUSIC NO LIFE」みたいなメッセージを出されても、それにはノレないな、と冷たい感想しか湧いてこない。

本作に見られるような、ショットの精密な構成美というと、個人的にはやはり『2001年宇宙の旅』を想起するが、そのショットの力は、個々のショットが空間的・時間的な構成に於いて計算されている、という一点によるのではなく、カットとカットの繋がりによって生じる「驚き」にもよっていたのだ。本作の場合、標的のアジトへの侵入が「想像力を使った」の一言で済まされてしまうような、夢想的な安直さでカット同士が繋がれていき、「驚き」とは無縁の「洗練」に耽溺しすぎに思える。

それに、動く写真集としての味わいでいえば本作よりも、冷たい感触と官能性が相俟つ『ゼラチンシルバーLOVE』を選ぶ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH けにろん[*]

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