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[コメント] 空気人形(2009/日)

ぺ・ドゥナと私の「唯一性」
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ぺ・ドゥナは「リンダリンダリンダ」でも、何も知らない留学生という役で、いわば 「ゼロから何かをだんだんと獲得していく」という役で、それがぴったりだった。この映画も、ただの人形が、だんだんと「心」というものを獲得して・・という話だと思うのだが、まさにその役柄がぴったりだと思った。純粋無垢(のように見える)というか・・(といいつつもう30歳?らしいが、それにしては、すごい。ヌードもきれいだった。)

ぺ・ドゥナは「私のどこが好きなの」「私じゃなくてもいんんでしょ」と板尾に問いかける。また、板尾は勤務するファミレスで「お前の代わりはいくらでもいる」と罵られる。これらの一連のエピソードが共通して示すのは、私の「唯一性」という問題だと思う。他の誰でもない私、交換不可能な私、という唯一性が、ぺドゥナと板尾は共に脅かされているということ。だからこそ、他でもないこの私を好きになってほしいと強烈に思っている。そして、板尾は自分の唯一性を承認してくれるものとして、人形を選んだ。(唯一性を認めてくれるのが交換可能な人形というのも・・)

このことは、現代の社会・時代の反映として語ることはできるようにも思う。社会が流動化し、例えば、取替え可能な人材(非正規社員)の増大、あるいは、地方都市の「ファスト風土化」?など。監督ないしこの作品自体も、実際にそのことをある程度意識して描いているようにも思われる。(たとえば、板尾が「ファミレス」で働き(罵られる)いること、あるいはだんだんと高層ビルが立ち並び、その「固有性」を失いつつある下町がこの映画の舞台であることは、まさにその象徴ではないか)

しかし、また、このことは時代を超えた「普遍性」をも有しているようにも思う・・単純に、人が恋愛をしたり、家族を作ったりするのは、私の唯一性を認めてくれる、代替不可能な関係性がほしい、ていうことだと思うので。。ということで、そのようなまさに根源的とでもいえる人間の欲求を描いた、という点では、普遍性を有しているのではないだろうか。

なので、簡単に時代を切り取った映画、というだけではなく、なかなか不思議な?映画だと思いました。

「川崎」の映画館で鑑賞

(評価:★4)

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