[コメント] カールじいさんの空飛ぶ家(2009/米)
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家ってのは、普通飛ばないもんだ。だからこそ飛ばす。これはそういう映画だ。それは映画的発想と言えるのか。確か遥か大昔のバスター・キートンのサイレント映画なんかでも、大掛かりに家を動かしたり壊したりするアクションコメディがあったけど、あるいはそんな映画を意識してイメージしたりしたのかも知れない。
だが、正直この映画の家には、さして魅力は感じない。だってそれはアニメーションなんだから。アニメーションは文字通り絵空事。絵空事であるだけに却って地に足つけなければならないのが、本当のアニメーション映画の宿命なのではあるまいか。たとえばやっぱり宮崎駿。宮崎駿の映画はよく「浮遊」の映画だと言われるが、しかし果たして本当にそうか? 宮崎駿の映画は、じつはむしろ、「落下」の映画なのではないか? たとえば個人的な自分の記憶から言っても、『ラピュタ』の冒頭、ヒロインのシータが飛行船から落下する、まさにその瞬間。当時自分はその瞬間を目撃して、「落ちた!」と鳥肌を立てて感動したものだ。そしてその後は、映画史に刻まれると言ってもいい極めて美しい落下のシーンが頻出する。つまり「飛ぶ」こととは、「落ちる」ことと紙一重なのだ。紙一重だからこそ、「飛ぶ」ことは憧れの行為になる。
而して、翻ってこの映画のカールじいさんの家。それは落ちない。いや、確かに風船が割れれば落ちていきはするが、しかし「落ちる!」という感動はそこにはない。はっきり言って、そこにはだから「飛ぶ」「落ちる」の「アクション」はないのだと言ってもいい。たとえばバスター・キートンの映画などが当然の如く現実の重力の中で足掻いていたのとは異なり、このアニメーション映画は「落下」をこそ慎重に描出せねばならなかったはずだのに、その観点がすっぽり抜けているこの映画は、だから正直つまらない。(宮崎駿が冒頭のダイジェストだけで満足などと言ったのは、多分そんな裏があると思う。)「空飛ぶ家」が主題であるはずのその映画で、これは致命的なことだったと思う。あいにく冒頭のダイジェストにも大して感じ入れなかった自分には、だからこれは凡作としか映らなかった。
しかし、ピクサーの映画は、いつも女性がキュートだね。この映画のエリーも可愛くて、そして奇麗だった。
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