[コメント] フローズン・リバー(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず、メリッサ・レオの造型が圧倒的にすばらしい。いささかの躊躇いも見せずに発砲するその姿は、私には『グロリア』のジーナ・ローランズが重なって見える。
とてもとてもリアルな映画で、またそのリアリティこそが胸を打ちもするのだが、それ以上にこれは映画的な発想に貫かれた映画である。たとえば冒頭、レオの元にトレーラーハウスが運ばれてくる。もちろんトレーラーハウス自体は私でさえいくつものアメリカ映画で見たことがある。しかし、ここではそれが「運ばれてくる」つまり「移動=運動」しているのだ。そのことにしても彼の地では決して珍しくない光景なのだろう。すなわちそれがリアリティなのだが、「住宅が運動する」画面の荒唐無稽な面白さは純粋に映画領域の面白さである。バスター・キートン以来の発想であり、そこに面白さを発見できる演出家の感性が映画的なのだ。
あるいはハッピー・エンディングと云い切ってしまうには苦すぎる結末。しかしそこには疑いなくある種の幸福感も流れている。それは回転木馬の「回転」運動がもたらすものだ(「回転」は映画において幸福の運動です。『神の道化師、フランチェスコ』『おかあさん』『さよなら。いつかわかること』などを思い出してみてください)。また、劇中“T.J.”と呼ばれつづけているレオの息子チャーリー・マクダーモットが修理を試みるという形で、その回転木馬が中盤でひそやかに登場していたこと。これこそが「映画」が持つべき伏線である。
そして「映画」が持つべき伏線とその帰結と云えば、同じラストシーンで“T.J.”とは正式には「トロイ・ジュニア」であることが明かされるのもそうだ。もちろん、勘の鋭い観客や英語での生活感覚が磨かれた観客ならば、彼の父親の名が「トロイ」と判明した時点でそのことに気づくのかもしれない。しかし、いずれにせよ、ここでよりいっそう明瞭に浮かび上がる「家族」の主題の複雑さは私たちを打ちのめすことだろう。賭博癖を除けばよき父親だったらしい(そして一度も画面に登場しない)トロイはやはりどうしようもなくマクダーモットの父親であり、家族を守るために罪を犯した母親レオを彼は待ちつづける――モホーク族ミスティ・アパームとその子を新たな「家族」として、彼女たちとともに。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。