コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] Dr.パルナサスの鏡(2009/英=カナダ)

この鏡は、あるいは歪んだギリアムの自画像だったのかも。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ギリアム監督は基本的にファンタジー作家だと思う。空想の遊びの上に極彩色の夢のような世界を与えてくれる。

 ただし、それが極めて”悪夢”に近いと言う点が子供の描くファンタジーとは異なるところ。夢の世界なんてものはたいがい碌でもないものばかりだが、その碌でもない夢というものを描き続けるのがギリアム流と言ったところだろうか。

 そんな”悪夢作家”ギリアムが一般的にも一番脂が乗っていたのが丁度「バンデットQ」や「バロン」を作っていた時期に当たる80年代だった。衒学的に陥ることも、殊更残酷な描写になることも無く、ある意味最も観客の立場を考えて作った作品といえるかもしれない。

 以降の作風はどんどん悪夢描写へと深化していき、子供っぽいおもちゃじみた画面はなりを潜めてしまう。お陰で好事家ばかりが楽しめるカルト作家になってしまったのだが、そんなギリアムが再び円熟期の物語に帰ってきた。ファンとしては喜ばしいことだ。

 それで何故久々にこんなダークファンタジーを作る気になったのか、その理由を”勝手に”考えてみると、ようやく映画の技術がギリアムの求めていた水準に達してくれたから。と言うのが一番の理由なのでは無かろうか?『バンデットQ』なり『バロン』なりふんだんに特殊撮影は用いられていたが、あくまでそれは「特撮」のレベル(…って私が言うのもなんだが)。それらが不自然無く画面にとけ込めるだけ映画の質が上がってきたと言うことだろう。

 まずはそれを素直に喜びたいと思う。

 それで改めて本作を眺めてみると、一応話の中心はレジャー演じるトニーと言うことになるだろうが、本質的には主役はパルナサスの方にある。

 自ら瞑想状態になることで、人を夢の世界につれていくことが出来るパルナサス。その夢の中で正しい道に導き、決断させることを目的にしているのだが、それには理由がある。

 本来「世界を創る」賢者であったパルナサスは悪魔(?)ニックの手によりその任を強制的に解かれ、ニックとのゲームに参加させられた。ニックが彼を選んだ理由は、パルナサスが人の精神を解放させることが出来る。と言う特殊能力を持っている事が第一だろうが、基本はおそらくそれは永遠の命を持ってしまった彼の気まぐれ、あるいは自分のなすゲームのプレイヤーとして選ばれた、いわば暇つぶしの相手に過ぎない。  だからニックは一見無謀とも見える賭をパルナサスに対してふっかけるが、実はそれに勝とうなどと言う考えはない。無理難題を前に悪戦苦闘するパルナサスを見ることだけが彼にとっての楽しみなのだから。だからこそパルナサスに不死まで与えて、しかも自分との約束を定期的にとりつけて面白がっている。いわば悪魔に見入られてしまった存在であろう。ニックは定期的にご褒美をパルナサスに与えることによって絶望に陥る事を防ぎながら、その中で苦しみ悶えるパルナサスを見て楽しんでる。悪魔と言っても、その実は全く分からず、彼はいわば、グノーシス思想におけるデミウルゴスのような存在として取って良かろう。魅入られた方はたまったものじゃないけど。

 神によって魅入られてしまった男にとって自由意志など存在しない。強制的に神の暇つぶしのゲームにつきあわされた挙げ句にボロボロにされ、絶望にうちひしがれた姿を晒して悪意の神を楽しませるしかないのだから。

 しかし、それで一番悲惨なのは、その事をパルナサス自身が知っていると言うことなのかも知れない。知らない時は、試練を乗り越えてついに不死を得たり、あるいは若さを手に入れたと思っていたかもしれないが、それ自体が実は更なる絶望を引き出すための下準備に過ぎないのだから。

 ラストシーン、ニックに奪い去られたはずのヴァレンティナがロンドンの片隅で慎ましやかに家族を持っていることが描かれるのだが、恐らくはこれまたニックの策略で、パルナサスが触れることができないところでヴァレンティナが幸せになっているということを示すことで、まだゲームは終わってない。ということを暗示しているのだろう。

 だから本作は決してハッピーエンドではない。なにせこれから先、パルナサスは永遠とも言える生の中、ニックに悩まされ続けることになるのだから。

 こう言った悪意をあたかもハッピーエンドのように提示してくれるギリアムって、だから大好きだ。

 …これを書いてる内に思ったが、このパルナサスの姿って、実はギリアム自身の事だとも考えられよう。かつてモンティ・パイソンの一員としてデビューを果たし、その後物語を創る事を自分の使命と考えるようになったのに、容赦なく作品を酷評され(時折賞賛も受けるが)、完全なカルト作家にされてしまったギリアムこそが、絶望と時折与えられるご褒美にすがるパルナサスの姿にも重なる。そうなるとニックとは彼を批判する批評家とも考えられるし、あるいは映画を観ている我々なのかもしれない。ラストシーンは、その状態を受け入れた。というギリアムの宣言と考える事も出来よう。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)水那岐[*] セント[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。