[コメント] 恋するベーカリー(2009/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
物語映画の主人公は例外なく葛藤を抱えている。葛藤とは引き裂かれる思いのことである。矛盾する二つの命題に対するリアクションを目に見える形で描くのが映画の文法である。
分かり易い葛藤の例は善悪である。この命題はあるときは良心と欲望、またあるときには法と信念といった形で繰り返し用いられてきた。こうした理性的な論理性は(主人公の性別には関わらず)男性的な思考である。
この映画のアレック・ボールドウィンは、まさにこのようなメソッドを手がかりとして、ストリープとの結婚生活を回顧し、検証し、分析してみせている。テディベアのような彼の容姿と、弁の立つ真心からの説得工作が、二人の再燃を豊潤な期待感で彩っていく。
ストリープが医科を訪問するのは自らを鏡に映すようなものだが、最初の美容整形外科とのセッションが不毛に終わるのとは逆に、二度目のセラピストとのシーンは短いが重要な事実を示唆している。ストリープは前夫への想いを自己分析して見せるが、そうした内面心理のメカニズムよりも、彼女のアクション(外見と行動)が雄弁にその人となりを語っているのである。職場の部下も、茶飲み友達とのガールズトークも、ストリープの心境の変化を反映しているが、このセラピストはさすがにプロだけあって、鋭い洞察力を短い言葉に込めて助言する。「背を向けてはいけない」と。
ボールドウィンと共に2010年アカデミー賞の司会者コンビとなるスティーヴ・マーティンは、チャーミングな見せ場もあるが、(クッキングシーンも含めて)謙虚に引き立て役に留まっている。ストーリーの冒頭から子どもたちが介入する様子を見ていても、物語のベクトルはストリープとボールドウィンが縁りを戻す方向へと向かっていくように見えていたのだが、他でもないその子どもたちの「両親が離婚したことで受けた心の傷」が一撃を与えることになる。親離れしたばかりという彼らの年齢設定も含めて実に繊細な家族間の感情描写だ。
ロマンスコメディで語られるストーリーは様々なバリエーションが存在するが、最終的にヒロインが何かを選択し決断して終わるパターンもあれば、近年よく見られるように、老いを受け入れてなお精力的に人生を楽しもうではないか、というさりげないエールで幕を引く場合もある。
本作はそのどちらでもなく、葛藤という男性的な概念を、成熟した女性としての実感に沿った形で解釈して見せている。女性的思考とは、右脳的な、感覚的な、血の通った温かい(complicatedな)世界である。また、そこまで深く論じるのであれば、異性を異性として理解する相互的な人間性への慈愛にまで行き着いてしまう話である。
このような抽象性は劇的構成とは相性が悪い。ストリープの躊躇を簡単な単語の羅列で説明する観客はいないだろう。だが感情としてはわかるのだ。そうしたメイヤーズの優れた脚本および演出と、ストリープの演技、それらを纏め上げた敏腕スコット・ルーディンのプロデュースによる本作は、映画表現としての一つの目標を達成している感触がある。このジャンルの新たなメルクマールとなるだろう。
(評価:)
投票
| このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。