[コメント] ボーイズ・オン・ザ・ラン(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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田西が「ラン」するシーンとしてはまず冒頭の、テレクラで知り合ったブタ女からの逃走。ひとつ飛ばしてラストのランは、ちはるを電車の中に突き飛ばしてホームで泣いた後の疾走。この二つの、タイトルバック付きのランで本編を挟んだ形をとっているわけだが、最初のランから最後のランまでに何が変化しているか?というのが一応はやはり振り返りたくなるところ。今まさに電車に乗り込んで去っていこうとするちはるの前で、「僕とはやってくれないの。口でするのもダメなの」と無様に泣く田西。見かねたちはるが「フェラならいいよ、トイレ行こう」と促すのを「違うんだ」と突き放す田西。ここで彼は、無様で完敗ではあるが根性だけは見せた決闘の後にも拘らず性欲に負けて情けない姿を見せながらも、最後の最後に男の矜持を守ったのだ、と普通に解釈してしまってもいいのだろうが、或いは田西は、純愛と性欲の区別がつかなくなり、ちはるに恋しているという感情を「口で」うんぬんという、しほにゴムフェラをしてもらいかけたのがちはるにバレて色々と台無しにしてしまったあの一件を思わせる台詞を吐いてしまったのではないか。そう見れば、最後の疾走も、ちはるに恋しているんだ、傍に居てほしいんだ、という想いと正面から向かい合えずに逃げ出したようにも見えてくる。
そこで、もうひとつの「ラン」、決闘に向けた特訓シークェンス中の町中でのランニング・シーンを振り返れば、ちはるをオモチャにして中絶までさせたうえ、彼女の没企画を盗んで一儲けした青山への、一点の曇りもない義憤に駆り立てられて田西が走っているのかというと、ひとつ疑問が残る。田西は青山から「さすがにもうやっちゃったでしょ」とちはるのことに水を向けられ、「もう、とっくに」と見栄を張ったうえ、「貸すよ?」などと最低すぎる発言をしていたのだ。ここでも、ちはるへの想いは、「やってしまう」こと、性欲を満たすことに還元されているが、「貸すよ?」発言の後で青山から「やっぱり貸してもらおうかな」と言われて笑顔を返した田西は、車の中で俯き、苦悶の様子を見せるのだ。結婚式場で口淫うんぬんについて弁解し、恋心を告白した田西は、結局は特訓シーンでのランに於いても、自身の情けなさや、見栄と性欲に屈した惨めさから逃げるように走っていたようにも思えてくる。
性欲に屈する、とはいっても田西は、ちはるとホテルに入ったシーンの後でしほからは、「処女だから、もっと田西さんのことを知ってから」と躊躇っていたちはるが、本当はしたかったらしいと聞くことになる。では、何も考えずに性欲に従っていれば万事問題はなかったのか。例の「貸すよ?」発言も、ちはるといいところまでいきながらも決裂を迎えてしまったルサンチマンからの失言に過ぎなかったのかもしれない。だが、決闘にあたっても田西は、テクニックよりも自らの狂気こそが武器になるという鈴木の助言を実行しえたのはトイレでたまたま「俺もあの女とやっちゃったんですよ」、「やってる間中ずっと泣いてて」という発言を発した男を発作的に殴って倒したシーンのみ。青山との決闘では、名刺を差し出す振りをして殴るという作戦を計画通り実行しようとしたら、ちはるから青山に漏れているし、せっかく青山を捕まえても、傍の鈴木に「捕まえました!これからどうしたらいいですか!?」と相談してしまう。決闘前のモヒカン刈りにしても、「狂気」に形から入ろうとしている印象がある。
田西の狂気、というか本能は、性欲と「ラン」に具現化されているようではあるが、ランニングで鍛えるなどして決闘に臨むことをちはるはまるで望まず、むしろますます田西を嫌悪していくし、冒頭の逃走にしても、いったんは性欲の対象にしようとした女から逃げている。田西が何と闘っているのか、実は全篇を通して定かではない。弁証法的に発展しない悪循環の中を、車輪の中を走るモルモットのように走り続けることしか出来ない田西。成長物語なのか成長できなかった物語なのか悩んでしまうのだが、そうした悩みやわけの分からなさ、混乱を抱え込むこと自体もまた、前進か逃走か分からぬ「ラン」を更に促すというこの在り方は、人生そのものに酷似している。
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