[コメント] アリス・イン・ワンダーランド(2010/米)
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皆から愛されず妹に嫉妬する赤の女王は、『バットマン・リターンズ』のペンギン同様の扱いを受けて然るべきキャラクターでありながら、武力衝突などという、荒唐無稽なアリス物語にあるまじき、剣と魔法のファンタジー風の解決法で決着がつけられた挙句、不実な男と一緒に追放されるという哀れな結末。救いがないのは構わないのだが、その救いのなさの描き方に一抹の哀愁を添えてくれていたかといえば、あの扱いではちょっと足りないと思う。
赤の女王の非道な行ないも描かれてはいるのだが、マッドハッターの回想という、間接的かつ過去形の話でしかない。観客が(主にアリスの冒険に付き合う形で)現在進行形で体験していくアンダーランド内で、仲間だとか、大切だとか思えたものに赤の女王が酷いことをしていた、といった形にはなれていない。赤の女王は、その頭の巨大さが、傲慢さと脆さ(つまり劣等感)の両義性を表す、わがままで滑稽な、或る意味では愛すべき人物という印象。白の女王側の、多分に記号的な人物たちより、赤の女王の方が陰影を伴った魅力的な人物とさえ言える。とはいえ、本来はチェスの女王という抽象的な存在であるものに、きちんとした固有名を与えて姉妹の対決という形をとったのは、やや生々しすぎて違和感を覚えるのだが。
マッドハッターは、キャロルの原作とは似ても似つかない、キチガイというよりは単なるモノマニア的な変わり者でしかない。原作での人物造形なり、アリスとの関わり方なりを考えれば、『鏡の世界のアリス』に登場した白の騎士こそ、ジョニー・デップが演じた性格の人物として相応しいのだが、白の騎士はマッドハッターの回想シーンにしか姿を見せない上、顔は兜に隠され、台詞も一言も無く、赤の女王の襲撃によってあっさりと爆死し、ただ剣を残す存在として微かに記憶される程度の扱い。原作への敬意が少しでもあるのなら、ここはきちんと白の騎士をアリスに絡む人物として登場させ、途中で斃れた彼からアリスが騎士の地位を継承する、という形にでもするのが妥当ではないのか。原作では、八の目まで進んだポーンは王以外の駒に出世できるというチェスのルールに基づいて、アリスは女王になっていたが、そこを本作では、敢えて女王にならず騎士になるという風にすれば、原作を知る観客にとっても一つのアクセントになり得ただろう。
脚本も雑だが、目玉であるはずのCGもかなり雑に思える。アニメ的デフォルメとリアル感の狭間の半端な辺りで成立させているのが気に喰わない。不気味なほどのリアルさに徹する方が正解だろう。喋る花々も、真ん中に人の顔が付いているというのは詰まらない。花弁がそのまま唇のようでもあるといった不思議な造形を工夫してほしいところ。
夢見る表情と、終始浮きっぱなしの両手とが相俟つ白の女王(アン・ハサウェイ)のいい加減な浮遊感は好印象。チェシャ猫の、嘘のアリスかホントのアリスかが議論の的、というアリスの台詞を受けても「政治には興味ないね」とふわふわ浮かんでは消える在りようも不思議の世界の住民らしくてよい。一方、時計を持ったウサギが最初から最後まで当然のように善玉の側についているのは、面白くもなんともない。
原作では、アリスが動物たちや奇怪な人物らと交わす、頭がおかしい反面、妙に理屈っぽくもある、非生産的な会話、突拍子もない出来事による脱線などがそれ自体として愉しみになっているのだが、そうしたナンセンスへの愛着が殆ど感じられず、目的に向かって一直線のこの映画にとって、アリス物語は単なるネタでしかないようだ。
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