[コメント] また逢う日まで(1950/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
目立つところでは小説風の独白ナレーション、室内での舞台風ライティング、オプティカル合成による三郎(奥田)の妄想、細かいところでは、公園でのロケ撮シーンに於ける録音状態の悪さや、早廻しを使用した間抜けな二郎の死に様、と主権回復初年度の混乱と興奮が見て取れる。
しかし俺が一番異様だと思うのは今井正の頭の中。
俺は、後で『ひめゆりの塔』のレビューにも書いたのだが、今井正は良く知られるゴリゴリの共産主義者である以前に、実はある種の耽美主義者なのではないかと勘ぐっている。俺には、オスカー・ワイルドや父が専門にしていたヴォードレールを引き合いに出して、そのことを証明立てるほどの文学的素養はまだ全くないけれども、今井の作品の根底には、表立って云っている「戦争反対!」ってメッセージとは正反対の、ある種のナルシシズム、琉ぼうや破壊、終末への憧れと陶酔みたいなものを感じる。空襲で焼け爛れた東京を「美しい」と讃えたのは江戸川乱歩や坂口安吾だったけれど、実は今井もそれを感じていて、だけど彼の場合はその思想や正義感がそれを表に出すのを許さなくて、それでこういった歪んだ作品が出来て来るのではないか。新星映画社を立ち上げた盟友山本薩夫の作風が、ユーモアとアイロニー、社会悪に対する直接的で激しい怒りで彩られているのに対して、今井の作品には、社会正義を希求しながらも、どこか諦めというか、赦しというか、そういうものが感じられる。
この映画の二人は実に良くキスをする。そのキスの仕方がまたエロい。仕方もエロいがシュチュエーションがまた最高にエロい。戦争のお陰で母がいないから、その隙に、とばかりにガラス越し、或いはひざにだっこでチュー、って、もうどういうことよ。
そんな彼らを戦争は確かに隔てた。とても残酷な結末ではあります。しかし、そもそも、彼らを引き合わせたのも戦争。何れ出征という焦りと昂奮が二人の恋を短期間で燃え上がらせたのだ。
そう考えるとこれは本当に悲劇なのだろうか?結末が悲劇的であることは確かだけれど。
これを耽美的恋愛ドラマと観た俺の頭は、この夏の暑さと女日照りでどうにかなってしまったのでしょうか?それとも元からおかしいのか?
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