[コメント] 運命のボタン(2009/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「これは『金か人命か』という究極の選択を迫られた夫妻の物語である」と提示されたならば、大方の観客は「利己的行為を取るか否か」についての彼らの心理的葛藤が突き詰めて描かれると期待(あるいは失望)するだろう。しかしリチャード・ケリーの興味はそこにはなかったらしい。キャメロン・ディアスはむしろ、フランク・ランジェラの提案が真であるにせよ偽であるにせよ、そのような葛藤に煩わされるのはもう御免だとばかりにエイヤとボタンを押す。要するに、彼女は喉から手が出んほどに一〇〇万ドルを欲しいがためボタンを押したのではない。したがって、ボタンを押したことによってディアスとジェームズ・マーズデン夫妻に起こる不可解であったり悲劇的であったりする出来事に対して「自業自得である」と云うのは適当でない。彼らが被る害は多分に不当であり、不条理である。
さて、ともかく、これはスタンリー・キューブリックを目いっぱい親しみやすく仕立て直した映画と見ることができる。『2001年宇宙の旅』の骨格を『シャイニング』の方法論で撮ったとでも云うか。すなわち、人類より高位の(地球外生命体と措定されるところの)何者かが人類を「試す」物語を(『2001年宇宙の旅』)、幾何学的構図と柔らかなカメラワークで画面化し、過剰に謎めいたギャグすれすれの語り口で提示する(『シャイニング』)。やや牽強の気配が強まってくるが、細部にしても、たとえばマーズデンが水柱に引き込まれた直後のイメージはスターゲートであり、寝室の「洪水」は『シャイニング』のエレヴェータから溢れる血液の激流であり、ディアスの足について問う生徒ジョン・マガロが結婚式リハーサル・パーティで見せる不気味な笑みはジャック・トランスのそれである。
もちろん、キューブリックから冷徹さと厳格さを抜き去って親しみやすく仕立てたこと、またそもそも演出家の力量に到底埋めがたい差があることによって、フィルムそのものの出来はキューブリックと比べるべくもないものである。とは云え、劇中の大部分にわたるミステリアス過剰な空気であるとか、禍々しいサンタクロースが自動車の行く手を遮ったかと思いきやトラックが突っ込んでくる唐突さであるとか、ランジェラの根城(?)をはじめとした一昔前の近未来SFのようにちょいダサのプロダクション・デザインであるとかが私の琴線に触れてきたことを否定はできない。否定はできないというか、大いに楽しんじゃいました。
ディアスさんは『私の中のあなた』に続いて年齢相応に母親役の模索期を闘っています。容色の衰えが女優としての価値の低減を意味しないことを証明する正念場でしょう。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。