[コメント] ガンファイターの最後(1969/米) - 更新順 (1/1) -
ドン・シーゲルの演出部分はどこだろう。順撮りに近い撮影だったと仮定するなら、トッテンからシーゲルに交代しているのだから、後半部分、少なくもリチャード・ウィドマークとキャロル・オコナー一味との決闘シーン以降はシーゲルの演出じゃないかと思う。 [review] (ゑぎ) | [投票] | |
現在の感覚からすれば、主人公の幾つかの行動に違和感があった。その違和感が時代の違いというものだろうし、変えられないのが古い人間なのだろう。それは通したい意地か、自己存在の意味付けか。当然ながら旧も昔は新だった。古い人間を私は嫌いではない。 [review] (KEI) | [投票] | |
ジョン・サクソンのヒザ。 (黒魔羅) | [投票] | |
ロバート・トッテンについては何も知らないが、至るところにドン・シーゲルの作家的な徴が認められるのは確かであり、これをもっぱらシーゲルの作品として扱いたくなるのも無理はないと思わせる。「西部開拓時代の終焉」の映画として共時的な、「保安官の孤立」の映画として通時的な作品群の形成に与る。 [review] (3819695) | [投票] |